ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

聖霊を、主イエスの様に生き生きとしたご人格を持つ方として見る


「真の異言の祈りはイエス・キリストとの霊的な交わりから溢れ出すものであり、祈りが霊の領域にあることのしるしである」という文章を読み、聖霊バプテスマを未だ受けていない為、異言で祈れない自分が、まるで「枯れた骨」のように感じてカナンの女性のように、主の前に跪いて祈っている。

聖霊バプテスマは2年前から求めていて、既に受けられている敬虔なクリスチャンの方から聖書を元に詳しく教えて頂き本当に感謝している。
そのお蔭で、聖書上での知識は得ていると思う。
信仰義認による救いが神の一方的なあわれみによるものだったように、聖霊バプテスマも神の約束であり、賜物であるので、あとは啓示を待つより他にないのかもしれない。 

.A.トーレーの書籍から少しずつ「聖霊」について転載していきたいと思う。

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(前略

聖霊を単なる影響や力であると考えるなら、「どのようにして聖霊を獲得し、用いることができるのか、どのようにしたらもっと聖霊を得ることができるのか」と絶えず思うようになるでしょう。

しかし、聖霊を聖書的に、威光と光栄に満ちたご人格として考えるなら、
「どのようにして聖霊は私を捕らえてくださり、用いてくださるのか。どのようにして聖霊は私をご自分のものとしてくださるのか」と考えるようになります。

もし、聖霊を影響力のように考えるなら、あなたはそれを手に入れようとし、聖霊を受けたと確信するや否や、クリスチャンとして高い地位に就いたかのように、人々に見せびらかすことになります。今日、あちこちで目にする光景です。

聖霊を、限りない威光に満ちたご人格の神として考えるなら、また私たちの心に住まわれ、私たちをご自分のものとしてくださり、私たちをみこころのままに用いてくださる方であると考えるなら、私たちは謙遜にさせられます。
これほどに、私たちを砕き、また謙遜な者とさせる偉大な聖書の真理は、ほかにありません。

天の父なる神様。私の目を開き、聖霊を、あなたのひとり子である主イエスと同じように生き生きと、ご人格を持つ方として見させてください。
聖霊について、誤解していることがあるのなら、どうぞお示しください。
聖霊の本当のお姿を知ることだけが私の望みです。アーメン

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私を含め、多くの信仰者は「聖霊」の存在を信じ、「聖霊」に導かれて歩む事の重要性も知っていると思う。単なる影響力や力・・・とは思っていないにしても、実際は、その聖霊をリアルに、現実的に生きておられる存在として常に認識していないような気がしている。

上記の文章の中の
「どのようにしたらもっと聖霊を得ることができるのか」
「どのようにして聖霊は私を捕らえてくださり、用いてくださるのか。どのようにして聖霊は私をご自分のものとしてくださるのか」
の違いは大きい。
主語は「私」なのか、「聖霊」なのか。
どちらが主権者なのか。

聖霊は人格を持たれた、三位一体の第三位格であり、私たちの主権者であると分かる時、本当に謙遜にさせられる。

上記の祈りにあるように、私の目を開き、聖霊を、ひとり子である主イエスさまと同じように生き生きと、ご人格を持つ方として見させてくださるように祈ります。
そうなった時に初めて、聖霊によって書かれた聖書を、御霊の光、導きによって読む事も出来るようになると思う。

宗教的シオニズムや聖書解釈における「ヘブライ的回帰」の問題点



「宗教的シオニズム」や聖書解釈における「ヘブライ的回帰」の問題点は、御子の次の言葉によく表されている事を教えて頂いた。


エスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。(ヨハネ18:36)


御子の国はこの世のものではないのに、なぜイエス・キリストの福音を信じ、霊的な御国に属する者として贖われた人が、地上の政治国家全体を擁護しなければならないのか。しかも同じ国の中で敵対する側(パレスチナ人)を非難するような形で…。

神の計画は『大患難』を通してでも「今は頑なイスラエルの民を救うこと」、そして「御子の統治による王国を実現すること」であって、決して「現在の政治国家としてのイスラエルの建国」や「繁栄」を実現する事ではない。

私達は皆、もっと御子の「わたしの国はこの世のものではない。・・・・しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」という言葉を真剣に受け止めるべきです。
この言葉は十字架の死の直前に御子が語ったものですが、十字架の死によってそれは公に示されたからです。
だからこそ、自身十字架の死を霊的に体験した使徒パウロは以下のように告白しました。
「しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。」(ガラテヤ6:14)
この御言葉は信仰生活を送る上で、もっとも要となる事であると思います。

私自身、パウロのように十字架の死を霊的に体験できるように祈ります。



イスラエル共和国がどのような根拠で、 政治的、軍事的に奪い取って作ったのか③

② https://blogs.yahoo.co.jp/jesusdiary21/43534511.html の記事に付随してイタリア語の資料ですが、以下のようなものもあります。


上記には、第一次大戦前までは現在のパレスチナの領域はオスマン帝国の領地だったのですが、イギリスは第一次大戦における協力を条件に、その地域のアラブ人権力者に独立を約束していました(1915年)。しかし現実には、1917年の段階ですでに、イギリスの外務大臣バルフォアがパレスチナユダヤ人独立国を創る宣言をしています。
興味深いのはその動機ではないかと思いますが、それはバルフォアのウィキペディア日本語ページにも書かれています。

「バルフォアが外相になった頃(1916年末)は、ちょうどイギリス軍が敵国オスマン帝国の領土パレスチナに進軍する作戦を立てていた時期であり、この作戦は1917年1月から実施された。また1917年3月にはロシア革命により反ユダヤ主義的なツァーリ体制が崩壊し、ロシア国内の反ユダヤ諸法が廃止された。こうした中でハイム・ヴァイツマンや第2代ロスチャイルド男爵らのシオニズム運動は盛り上がりを見せ、バルフォア外相のもとにもパレスチナユダヤ人国家樹立を認めてほしいという嘆願が多く寄せられるようになった[169]。バルフォアはもともと「ユダヤ人国家」を餌にユダヤ人をウガンダに移民させて大英帝国によるウガンダ植民地化の尖兵にしようというジョゼフ・チェンバレンの英領ウガンダ計画を支持していた。そのため1906年にはウガンダ移民計画を拒否したヴァイツマンを叱責したことがあったが、ヴァイツマンから熱心な説得を受けて、シオニズムを支持するようになった[170]。1917年時のイギリスの国益上の観点からはパレスチナにイギリス庇護下のユダヤ人郷土ないし国家を作ることでパレスチナを「アジアのベルギー」にし、大英帝国の生命線であるスエズ運河を守る拠点とする考えがあった[171]ロスチャイルド卿がバルフォアに提出した草案の返答として、バルフォアは1917年11月2日付けで「パレスチナに現存する非ユダヤ人共同体の市民的権利と宗教的権利、あるいは他の国でユダヤ人が享受している権利と政治的地位に不利益を被らせない範囲で、陛下の政府はパレスチナユダヤ人のための郷土を建設することに最善の努力をする」としたバルフォア宣言を発した[172]。この宣言はイスラエル建国の基礎となった文書としてよく知られている[173]。他、バルフォアは国際連盟委員会の設立にも一役買った[174]。」
(引用終わり)

つまりイギリスにとってイスラエル建国は、預言的な動機によるものではなく、植民地政策の延長であり、政治的・地政学的動機によるものだったのです。
もしこれを「政治的」と形容しないとすれば、何を政治的だと言えるのでしょうか。

またイスラエル建国時の残虐行為に関しては、
イギリスのExeter大学でイスラエル史を教えている方の資料に「1945年から1956年の間に、アラブ人の37の村々が抹殺された」とあります。

また、『もう一つの「血の記憶」』

の記事の中に
イスラエルの建国時の残虐性」

というのがありますが、記事を紹介されている方は「個人的には、 サイト主の意見に対して全面的に賛同しているわけではないが、 歴史の本やマスメディアでは取り扱われない史実を扱っているとい う意味で、参考になると思う。」と仰っています。

結論としてですが、「なぜイエス・キリストの福音を信じ、霊的な御国に属する者として贖われた人が、地上の政治国家全体を擁護しなければならないのか。しかも同じ国の中で敵対する側(パレスチナ人)を非難するような形で…」という思いがあります。

預言者ダニエルに対して語られた言葉を読んでいて思うのですが、神の計画は『大患難』を通してでも「今は頑なイスラエルの民を救うこと」、そして「御子の統治による王国を実現すること」であって、決して「現在の政治国家としてのイスラエルの建国」や「繁栄」を実現する事ではないのです。

その点を混同していることが、「福音派シオニズム」の大きな問題であると思います。

以上になりますが、3つの記事から「イスラエル共和国がどのような根拠で、 政治的、軍事的に奪い取ったのか」の答えを見つけて頂けたら幸いです。


イスラエル共和国がどのような根拠で、政治的、軍事的に奪い取って作ったのか②

からの続きです。

「Mikuさんは今のイスラエル共和国がどのような根拠で、政治的、軍事的に奪い取って作ったとお考えなのですか?
よろしければ史料をご教示いただきたいです。」

という質問に対して、かなり参考になるサイトがありました。
そちらから転載させて頂きます。

【海辺のノート】
「<シオニズム>を歴史的に理解する」

シオニズム旧約聖書を根拠とするユダヤ教の宗教運動であるかのようにしばしば説明される。シオンの丘(エルサレム)に国家を再建することはディアスポラ(離散)以来の苦難を嘗めてきたユダヤ教徒の悲願であり、イスラエル共和国はその成就であると。しかし、そのような見方は当のユダヤ人の歴史を無視したものである。
シオニズムの中には奇妙な弁証法が横たわっている。シオニズムユダヤ民族の根源力を目覚めさせようとする。この根源力は宗教的な力である。しかし、シオニズムはまさに非宗教的な、民族主義的な運動として開始されたように見え、宗教的なものからのこの離脱にその大いなる進歩を見いだした。シオニズムにおいては宗教は個人的問題なのであった。」
これはシオニズム運動に尽力したフーゴ・ベルクマン(1883-1975)の言葉である。

シオニズム運動は、19世紀ヨーロッパにおけるユダヤ人迫害を最大の要因として起こった民族主義運動である。
啓蒙主義の広まりと重商主義による資本主義経済の発展の中でユダヤ人の解放は進んでいたが、一方で国民の同質性を原理とする近代「国民国家」形成が進むと共に、1870年代後半頃から、完全に同化されえない「民族」集団として(=「ユダヤ人問題」)、さらには特異な「人種」集団として、ユダヤ人は近代化の矛盾のはけ口としてスケープゴートにされ、迫害されるようになった。そこで、アイデンティティを守るため、あるいは生き残るための方策として議論されるようになったのがシオニズムであった。
シオニズム」という語は、1890年にナータン・ビルンバウム(1864-1937)によって、19世紀のイタリアやドイツの民族主義をモデルに観念されたユダヤ民族主義イデオロギーを表す言葉として発案された。西欧では「ユダヤ人」は宗教的な集団として観念されていたが、ナータン・ビルバウムは東欧で民族的な集団として存在するユダヤ人の共同体を知って衝撃を受け、国家と領土をもってこそ民族は国際社会において地位を占めることができるというナショナリズムを、シオニズムの名においてユダヤ人問題への解答として提起し、それがヘルツェルに引き継がれたのである。なお、ビルンバウムは第一回シオニスト会議で事務局長を務めたが、やがてシオニズム運動から離れて、ディアスポラの地においてユダヤ人の権利を確立し、ユダヤ文化を再興すべきであると主張するようになった。(※ビルンバウムは西欧ユダヤ人を主体とする政治主義に反発し、東欧ユダヤ人の文化から学ぶべきだと主張してイディッシュ語復権を唱えた。)
ロシアや東欧では、1881 年以降に頻発したポグロム(集団虐殺)や反ユダヤ立法の動きの中で、信仰の崩壊を防いでユダヤ教徒の一致を守ることを目的とした精神的/文化的シオニズムが生まれた。パレスチナに入植して離散ユダヤ民族のルネサンスを起こす拠点とすることを目指しながらも、国家建設は神への冒涜であるとした。反ユダヤ暴動によって発生した東欧ユダヤ人移民の多くは米国に渡ったが、一部はパレスチナに向かい、民族再生を理念とするシオニストに指導されて入植したが、フランスの大富豪エドモンド・ベンジャミン・ジェームズ・ロスチャイルド(1845-1934)からの援助に頼った結果、次第に変質して、1910年頃には挫折せずに残ったユダヤ人入植者たちは新来のユダヤ人移民よりも熟練したアラブ人労働者を好んで雇用する農園所有者へと姿を変えていた。今日、シオニストは、「パレスチナにアラブ人などいなかった。ヨーロッパからユダヤ人が入植した後、仕事を求めて周辺地域から流入してきたのだ。パレスチナ人はその末裔に過ぎない」等と主張することがあるが、それはユダヤ人入植以前から存在していたアラブ人ばかりか、この歴史的経緯を無視した見方である。むしろ逆に、少数のユダヤ人資本家と多数のアラブ人労働者によって成り立つ経済構造がユダヤ人移民によって作り出された、ということだったのである。
西欧では、フランスで起きたドレヒュス事件(1894-1906)が政治的シオニズムを生んだ。ヨーロッパで最も啓蒙と解放が進んでいたはずのフランスで反ユダヤ主義が席捲したことは、同化に希望を持っていたユダヤ人に大きな失望と衝撃を与えた。記者としてドレヒュス事件を取材したテオドール・ヘルツェルは同化主義の限界を見て、『ユダヤ人国家』(1896)を著し、ユダヤ「民族(Nation、国民)」国家の建設を外交交渉による認可獲得によって実現しようとする政治的シオニズムを起こした。ちなみにヘルツェルは、ウィーンのコスモポリタンな文化環境で育ち、ユダヤ教にもユダヤの文化的独自性にも関心も知識も持っていなかった。ヘルツェルの考えは新しいものではなかったが、国家建設に向けた提言は具体的であった。もし既に為されていた議論を知っていたなら(*)、あるいは東欧のユダヤ人の現実を知っていたなら、ヘルツェルが運動を起こすようなことはなかっただろうとも言われる。ともあれ、その並外れた熱意と切迫感のこもった取り組みによって、出版から一年半後の1897年8月、第一回シオニスト会議の開催を実現した。
(*) ヘルツェルは、モーゼス・ヘスの『ローマとエルサレム』(1860)、レオン・ピンスカーの『自力解放』(1862)、ツヴィ・ヒルシュ・カリシャーの『シオンを求めて』(1862)等を知らなかったと述べている。他に、シオニズムの先駆的な提唱者としてはイェフダー・アルカライ(Yehuda Alkalay, 1843)が知られている。
この会議でヘルツェルを議長とする「シオニスト機構」(後に“世界シオニスト機構”と改称)が設立され、以後の運動の中心となった。建国を優先して英国が提案したウガンダ案を選択する西欧の派と、パレスチナに拘る東欧の派との間で対立が続いたが、ヘルツェルの突然の死(1904)もあって運動は瓦解を免れ、東欧の派の主張が通って建国の地はパレスチナに求められることになった。
東欧では、メシア到来運動の挫折を経て、ベングリオンなどの社会主義シオニストが主導する「実践的シオニズム」が主流となっていった。移民や入植地開拓・防衛のために非合法手段も辞さず、既成事実を積むことによる国作りを進め、パレスチナ委任統治していたイギリスへの圧力をかけていった。そのための組織が、1920 年にベングリオンらによって設立されたヒスタドルート(ユダヤ労働総同盟)とハガナ(ユダヤ防衛組織)である。労働総同盟は、単なる組合ではなく、入植地建設の諸事業を行う企業体であり、建国前に政府のような役割を果たした。これに由来するシオニズムが後にイスラエルで主流の潮流となる。ハガナは後にイスラエル国軍の中核となった。一方で、ベングリオンらの社会主義的理想の建前と現実の矛盾をつき、民族主義~大イスラエル主義を強硬に主張してテロリズムを必要悪として積極的に用いる「シオニスト修正派」や、「イルグン」「シュテルン」などの組織も生まれていった。
実践的シオニズムと政治的シオニズムは1907年に統合されて「総合的シオニズム」となった。これを主導したハイム・ワイツマンは、バルフォア卿から得た理解や、第一次世界大戦でのイギリスへの協力(爆薬に使うアセトンの新製法の開発と製造)の過程で接近した有力政治家への働きかけによって、「バルフォア宣言」(1917)を引き出し、1935年にユダヤ機関の委員長を継いだベングリオンと共に、庇護者を英国から米国に移しながら、国連による分割案(1947)を引き出して、イスラエル建国(1948)を果たした。
シオニズム帝国主義の尖兵となることを請け合うことで西欧諸国の支持を取り付けようとしながら運動を進めた。テオドール・ヘルツェルは、武力でアドリア海を制圧した植民地主義国家、7世紀末のベネチア共和国の建国史がモデルだと日記に記している(ベネチアこそはヨーロッパで最初のゲットーを作ったのだが!)。そして『ユダヤ人国家』では、「そこ(パレスチナ)において我々は、アジアに対峙するヨーロッパの壁となるのだ。野蛮に対峙する文明の前哨基地として奉仕するのだ」と書いている。第三次中東戦争における圧倒的な軍事的勝利によって、中東における覇権維持のための有用性を証明することで米国との蜜月状態を築いたシオニズム運動=イスラエル共和国の今日の路線は、ヘルツェルの抱いていた発想とどれだけ異なっているだろうか。
イスラエル共和国は、婚姻法、移民法、土地法などによって、そして職業において、非ユダヤイスラエル市民に対して差別を強いたり、財産を没収したりするシステムを持っている。占領を続けているパレスチナ自治区では、パレスチナ人居住地域を入植者専用道路や「壁」で囲み、ゲットー化している。軍事地帯だと宣言して住民を全て追い出し、その後安全地区を宣言して入植地を作るといったことを繰り返している。国家の制度に具現化されたシオニズムは、このように、「人種・宗教・生まれ」によって差別し、軍事的手段に訴えて強制する諸施策として立ち現れている。端的に言えば、反アラブ・領土拡張主義・強硬路線の政治的立場を意味するものとなっている。

第二次世界大戦ショアーホロコースト)を経るまでは、シオニズムは、ロシアや東欧の貧しいユダヤ人には支持されたものの、欧米の大多数のユダヤ人からは強く拒絶されていた。
第一回シオニスト会議の招集状に対して、ドイツのラビたちは「聖書ならびにその他のユダヤの宗教の典拠にあるメシア的約束と相容れない」と表明した。
正統派ユダヤ教では、シオンへの帰還はメシアによって成し遂げられると考えられていたし(※ 現在でも宗教法ハラカーではメシアが到来するまではユダヤ教徒は「神殿の丘」に入ってはならないとされている)、改革派ユダヤ教では、ユダヤ人とは「民族」ではなく宗教集団であるから、国家を作るというプロジェクトはナンセンスであり、またユダヤ教の普遍主義的な真理の実現に反するものであると考えられていた。
西欧の同化主義者からはフランス革命ナポレオン戦争によって進んでいた法的な解放を脅かし、同化の努力を台無しにして反ユダヤ主義を誘発する危険思想と見られていた。ロシアのボリシェヴィキユダヤ人からは、シオニズムは最悪のブルジョワナショナリズムであると批判されていた。
シオニズムとは自分の土地に帰って住みたいというユダヤの民の夢、理想以外の何ものでもない」というキング牧師の認識は、差別と迫害を受けながらも、見も知らぬ「荒野」に移民することなど考えられず、各々のディアスポラにおいて生き抜こうとした多くのユダヤ人の信仰と政治的選択を無視したものなのだ。

シオニストにとって同化主義は運動の重大な障壁であった。そのため、しばしば反ユダヤ主義者との連携も図られた。
テオドール・ヘルツェルは、ロシアからユダヤ人問題を除くと約束し、ユダヤ排斥主義者の助けを借りようとした。
第二次世界大戦前夜、シオニストの地下組織イルグンは、ポーランドユダヤ排斥主義者の庇護の元で軍事訓練基地を設けていた。そして世界シオニスト機構はナチス・ドイツと「ハーヴェラ協定」(1933)を結んで、世界のユダヤ人の大多数の反対にもかかわらず、第二次世界大戦末期まで公然と協力関係を持っていた。(*)
(*)「ユダヤ人を、シオニストと同化主義者の集団の2つのカテゴリーに分けるべきである。シオニストは率直に人種主義の信念を表明し、パレスチナへの移民による独自のユダヤ人国家建設計画を推進している。…われわれの正しい願望と、優れた公式命令には、彼らと共通するものがある。」(ナチス・SS保安部長ラインハルト・ハイドリヒ、1935)
今日、「ユダヤ人はキリスト教に改宗するか、ハルマゲドンで殺されるしかない」と信じるクリスチャンのシオニストが、ユダヤ人の帰還、入植のための莫大な資金提供を行い、イスラエル政府と親密な協力関係を結んでいるのは、前例のあることなのだ。
結局のところ、反ユダヤ主義シオニズムは、分離主義において一致しているのである。

政治と不可分に結びついた原理主義的な宗教的シオニズムは、第二次世界大戦イスラエル建国を経て初めて広まりはじめ、1967年の六日戦争を転機としてシャロンに代表されるような軍事主義的(世俗的)シオニズムと結びつくことで初めて影響力を持ち始めた潮流である(ガッシュ・エムニム(Gush Emunim)を中心とする)。

以上、転載終わり。

※「同化主義」とは、ユダヤ人がそれぞれ住んでいる国の風習や宗教に適応し、ユダヤ人としての宗教性や生活習慣に固執しないあり方で、分離主義の対極にある立場。



イスラエル共和国がどのような根拠で、政治的、軍事的に奪い取って作ったのか①



「Mikuさんは今のイスラエル共和国がどのような根拠で、政治的、軍事的に奪い取って作ったとお考えなのですか?
よろしければ史料をご教示いただきたいです✨」

とコメントを頂いたので、数回に分けて記事にしたいと思います。

根拠を挙げるにあたって、イスラエルの歴史を知る事は大切な事だと思います。
本当に「簡単なもの」で恐縮ですが、私がある牧師から聞いたイスラエル史を一部載せたいと思います。

ナチス迫害で600万人が亡くなった事、ペストが流行った時にユダヤ人が毒を入れたという噂が流れ火あぶりにされたり、中世ではゲットーという場所にユダヤ人は閉じ込められて生活させられたり、十字軍の遠征の時にも敵がいるぞと言ってユダヤ人の村が襲われたり、殺されたりしました。
ローマがキリスト教を国教とした後に、ユダヤ教を敵対視していく、そういう伝統がその頃生まれている。

またローマ教会では、金貸しは卑しい職業としていたので、それはユダヤ人にやらしておけばいいではないかという事で、ユダヤ人が金貸し、質屋、古着屋の職についていた。
「ベニスの証人」という小説はシャイロックという強欲なユダヤ人の金貸しが主人公だか、ユダヤ人=金貸し=強欲な商人という偏見もあった。
ロシアで起こった「ポグロム
という迫害もひどいものだった。

1849年のドレフェス事件(ユダヤ人というだけで冤罪にされた)をきっかけにエミールゾラがこの事件を解決しようとフランスに訴える裁判が起こった。
その取材に来ていたウィーンのジャーナリスト、テオドールヘルツェルが「ユダヤ人はヨーロッパ人に同化してフランスのために忠誠を誓って戦争に出ているのに、なぜユダヤ人というだけで迫害されるのか。それは国がないからなんだ。国を持たないための悲劇だ。」という結論に至り、「ユダヤ国家」という本を書いた。
ユダヤ人が生き残るためにはユダヤ人の国家が必要であると思い、彼はジャーナリストだったので世界中に運動を広げてシオニズム運動の父と呼ばれた。
彼は過労の為、44歳で志半ばに亡くなってしまうが、1949年読了戦争が終わって、最初にユダヤ人がしたのは、ヘルツェルの遺体をエルサレムに運んだ。

また、エリエゼル・ベン・エフーダは当時、死語になっていたヘブル語を1922年に復活させました。1949年イスラエル共和国が出来た時に、世界各地からユダヤ人が戻って来ますが、その言語は様々で、言語統一がなければら立ち行かなかったはずであり、ヘブル語復活は武器となった。

ユダヤ人はシオニズム会議をしている事から、世界を支配する企てがあるという「シオンの長老の議定書」という本がロシアの修道士セルゲイニールズによって書かれた事もユダヤ人迫害が広がる原因になった。

1947年国連でパレスチナユダヤとアラブ、イスラエル(国連の管理下)の3分割にしようという意見が出た。
ナチスによって600万人の方が殺されたのは世界中で非常にショッキングな事で、はじめてユダヤ人に対する同情がヨーロッパ、世界中に起きた。
600万人の犠牲の上に立った同情が無ければ分割案は通らなかった。
(賛成33ヶ国、反対13ヶ国、棄権10ヶ国)

ユダヤ人はディアスポラから解放され、自分達の国を持ったけれど、逆にアラブ人達のディアスポラを作ってしまっている。

以上、本当に簡単なものですが私が知っているイスラエルです。

これに対して、貴重な意見を頂きました。

ホロコーストの600万人という数字は、現実的なものではなく、かなり盛った数字でしょう。色々なプロパガンダが混入されているので、全てをそのまま受け入れることはできないと思います。

ヘルツェルに関しても、彼の日記は以下のような言葉が記されています。現代のイスラエル人はヘルツェルのことを建国の父のように考えていますが、この彼の言葉を知って衝撃を受けて黙ってしまっている映像を何度か見たことがあります。

Theodor Herzl, Founder of modern Zionism in 1897:
“It is essential that the sufferings of Jews. . . become worse. . . this will assist in realization of our plans. . . I have an excellent idea. . . I shall induce anti-semites to liquidate Jewish wealth. . . The anti-semites will assist us thereby in that they will strengthen the persecution and oppression of Jews. The anti-semites shall be our best friends”. -- From Herzl's Diary

 「肝要なのは、ユダヤ人の苦しみがますます深まることである。そうなれば、われわれの計画が実現に近づくことになる。わたしにはすばらしい考えがある。反ユダヤ主義者をそそのかして、ユダヤ人の富を葬り去らせるのだ。反ユダヤ主義者は、ユダヤ人虐待と弾圧を強化することでわれわれの力になってくれる。ゆえに、反ユダヤ主義者はわれわれのいちばんの友であろう」

以上になります。

これらを少し念頭に置いて、次の記事で紹介(転載)する内容を読んで頂けたらと思います。

根にふれる祈り 心の傷の癒し②


前記事の冒頭で、行く先々で人々から拒絶に遭う女性、ご主人のモラハラに日々苦しんでいる女性がおられる事を書きました。

彼女達は被害者のようですが、実はそのような状況に追い込まれるに至る原因となる「傷」が過去にあったと私は思っています。

その傷によって、「私は愛される価値のない人間だ」「私は何もしてないのに、いつも人からの拒絶に遭う」「自分は馬鹿でのろまだから、主人に『お前は何一つできない奴だな』と怒鳴られても何も言い返せない」と「偽り」を信じ込んでしまっています。
この「偽り」を信じる原因になった出来事には「裁きの心」があり、それ以降、出会う相手の思いを汚し、「偽り」通りの状況をもたらす事があります。

主はそのような状況から私たちを助け出して下さるという証しが
「根にふれる祈り」ロブ・モリセット著の本の中にあるので転載したいと思います。


「消えてなくなった!」

ショーンは最近、恋人と別れたので、なんとか立ち直りたいと私に助けを求めてやってきました。彼はとても彼女を愛していたにもかかわらず、一緒にいる間、何回も彼女に対して怒り、けんかになったと言います。
他の要因もあったと思いますが、このことも彼女が彼から去っていった原因の一つであると後悔しながらも、彼は少しずつ気付いていきました。
この失恋を通して、その他にも無視できない強い否定的な感情が見えてきました。
どんなに自分を納得させようとしても、どんなに親しい人に自分の気持ちを分かち合ったとしても、彼にとっては何の意味もないようでした。何か心の表面下に絶えずくすぶっている怒りがあるように見えました。

ショーンが最初に私のところにミニストリーを受けに来室した時、かなり気分が滅入っていて、ただ安堵感を得たいように見えました。
彼の中に、発散してしまいたいことがたくさんあるようでしたので、私は、自由に何でも今までのことを話して分かち合おう、とすすめました。

彼女との関係を話していくにつれて、自分はそのつもりではなかったのに相手につらくあたって「君はぼくにとって取るに足りない人間だ」というメッセージを送ってしまったということが分かってきました。
皮肉なことにこの思いは、彼自身が彼女と付き合っていた時によく感じたものだったのです。変わってほしいところを彼女に指摘すると、彼女は批判されているのだと受け取ってしまい、それが口論の原因のほとんどだったようです。

これに加えて、どのように二人の関係が終わったのかも問題だったのですが、彼女が突然に彼のもとを去ってしまったので、彼は心の内で終止符が打てなかったのです。
彼女は彼と話したがらなかったし、言わなければと彼が思っていたことを聞こうともしませんでした。電話をかけても出ないし、留守電にも返事が返ってこなかったそうです。その結果、自分が悪い人間のように思え、自分こそが彼女にとって足りない人間だったのだと感じました。
さらに悪いことに、もうどうにもできないほどに力が抜けてしまって落ち込んでしまい、挙句の果てには、ただただ怒りのみが込み上げてくるのでした。

ショーンが、何かに対して自分は取るに足りない人間だというメッセージをもらったのは、この時が初めてではなかったのです
同じようなことが実際に何度もあったようです。何度試みても、ある条件がそろうとこの古い感情がよみがえってきて、克服できなかったと言います。
彼がこうした出来事に取り組み、すべてをなくするのではなく続けて取り組んでいくことを評価してあげなければなりません。ただ、何度も繰り返し経験している彼にしてみれば、怒りがたまっていらだつばかりです。
ひょっとして、よりが戻るかもと期待したけれども、別れた彼女とはどうにもならなかったようです。しかし主イエスは、私たちの思いを引き出すだめに、こうした状況を用いられるのです。

彼との時間をもっていた一週間の間に、ショーンは自分がどのような育ち方をしたか話してくれました。
その中で、別れた彼女と付き合っていた時に感じたような出来事を、少しずつ思い出しました。

その一つは、彼が生まれた時のことでした。母親は彼を愛してはいましたが、産んだ当時、本当は子どもが欲しくなかったそうです。それを時々言っていたらしいのですが、彼はあまり気に留めていませんでした。
結婚当初、ショーンの両親は互いの関係に行き詰って、よくけんかをしていたそうです。母親は夫から必要とされていないと感じ、自分は劣っていて「彼にとってふさわしくない」と思い込んでいました。明らかにショーンはその母親の痛みを感じ、自分の心の内に母親の思いを取り入れてしまっていたのでした
この幼少期の決断が、彼にこの嘘の「フィルター」を通して人生を見るようにさせたのです

また彼が育ってきた過程で、父親は他人との約束は守るのに自分との約束は守らないのだ、ということも思い出しました。怒っていたけれども、子どもたったのでどうしようもなかったと感じていました。そして父親がしていることについて、文句を言うことはできませんでした。
人との約束を守ることによって他の人を助け、家族を養うために働いて良いことをしていました。しかしショーンは、父親が自分だけには約束を守らなかったので、息子である自分はあまり価値ある人間と思われていないと感じてきたのです。
この事実は、彼がすでに信じていた「自分は父親に対して取るに足りない人間なんだ」という嘘に上塗りすることになりました。

ショーンの父親はいつも他人に寛大で、まじめに働き、家族をよく養っていました。親のこうした特質は、普通は子どもたちにとってすばらしい模範となります。
しかしショーンにとっては、父親は人には身を低くして助けるのに自分にはつらく当たるのだと思う時があり、このことが彼を怒らせたのです。
さらに悪いことに、それを親に言おうとすると両親とも彼に耳を貸さなかったのです。
こうした経験により、誰も自分のために時間を割いてくれないのだと、思い込むようになったのです。

このことやその他の経験によって、彼の心の内側深くは、段々頑なになっていきました。まるで子どもの頃に感じた心の傷の痛みから蒔いた種が心の奥深く根付いて、まるで庭に生えている草のようにふえ広がってしまったかのように思えました。

この集中的に面談の時をもっている間、私は彼の傷ついた様々な経験を詳細に書き出していきました。その中で注目したのは、ショーンが大人になっても繰り返し同じ否定的なメッセージを信じ続けたことでした
特に「自分は価値がない」という意味をもったものを。

私たちは、その後ゆっくりと休み休みミニストリーをしていきました。
心の準備ができて、記憶の一つひとつについて彼が祈れると感じた時に、少しずつ祈っていきました。
思い出したその部分で、どんなことがあったかを祈る時は、ゆっくり時間をとって、その内側の深いところにあった怒りや満たされない気持ち、痛みを主に告白するようにしました
それをすることによって、彼の心は本当に聞いてもらえたと感じました。

また、過去のいろいろな出来事の中には他にも否定的な裁きがありました。それは「自分はまだ子どもだから、人生は難しい」「誰も気にかけてくれない」さらには「自分がどんな時でも変わらなければ」などというものでした。

最後の日の前夜、ショーンにとっては神からの試みのようでもありましたが、しかし、驚くことが起こりました。
ショーンはその夜、いろいろ思い巡らしながら車を運転していました。
何か主が導いて下さったのか、いつもと違う道を走りました。行き着いたところには、別れた彼女の車が誰かの家の外に停めてあったのでした。深く考えもせずに彼は車を降りて、その家の裏の開いている戸のところまで歩き、中を見ようとしたら、そこには別れた彼女が他の男性といたのでした。

以前のショーンであれば、おそらく非常に怒ってその男を殴っていたでしょう。さらにその彼女にも腹を立てていたかもしれません。
だか彼自身が驚いたことに、自分は冷静で落ち着いていたと言います。その場を見て彼が深く傷つかなかったというわけではありません。その状況の真っ只中で、自分のとった態度がいつもと違っていたのです。
むしろ彼女に、以前の自分と付き合っていたことに対して同情を覚えたというのです。彼の内なる人が変えられたのでした。

前のように怒りにかられた衝動的な行動に出ることはなく、自制できるようになりました。加えて、このめったにない状況に出会わせたことによって別れた彼女との関係をきちんと終わらせることになり、同時に自分の心の内側が変えられていく経験をすることになりました。

ショーンはそこを去った後、今さっき起こったことを整理しようと思いながら運転しました。気が動転してしまったけれど、むしろ自分の中にある平安に驚いたと言いました。その間、彼が夜遅くなっても家に戻ってこなかったので、何か悪いことが起きたかもしれないと警察官が家によばれ、彼の帰りを待っていました。

かつてのショーンが何か別のことで逮捕された時、警察官は厳しく問い詰め、同情心のみじんもなかったといいます。彼の言い分さえ聞こうとしなかったのです。
まるで「原因はおまえにある」とでも言いたいかのごとく、厳しく彼に当たったそうです。しかし、この夜ほんの少し前に起きた出来事に加え、過去の経験からすれば、普通ならばここでショーンがどのような態度をとるか想像できるでしょう。

はじめは、警察官はそんなに遅くまで出歩いていたことに対して、厳しい態度をとっていました。しかし、彼に対して以前のような取り扱いとは違っていました。
彼らがいろいろな質問をして聞いてくれたので、その夜、別れた恋人と出くわしてしまったということを話しました。警察官は、自分は職業柄「タフガイ(頼もしい男)」でないといけないのだが、時には家に帰ると泣くこともあると話てくれました。警察官らはショーンに好意を持ってくれ、同情的でもありました。

この時、ショーンは裁かれているとは感じないで、むしろ、ついに話を聞いてもらって協力してもらえるような、充分に「取るに足る人間」になれたのだと感じました。

過去のある部分の事柄について祈った結果、ショーンは心の中に新しい自由を体験することができました。
明らかに変革が起きたのです。以前のような行動に衝動的にかられることは無くなりました。
彼を悪い方に向けて否定的な思いに駆り立てる何か、そして彼の内面にあった何かが「なくなった」ようです。

数日後、ショーンは私に、自分の中にあった激しい怒りが本当に消えたみたいだと、話してくれました。
彼の言うことばで表現すると、
「なんてすごいことなんだ。 あの怒りがもう消えてなくなったなんて!」

以上になります。

両親との関係を通して、「自分は父親に対して取るに足りない人間なんだ」「誰も自分のために時間を割いてくれない」「自分は価値がない」という「偽り」を信じ続け、「怒り」を持ち続けた為に、繰り返しそのような状況が引き起こされていたのです。

けれど、その内側の深いところにあった怒りや満たされない気持ち、痛みを主に告白するようにした時、彼の心は本当に聞いてもらえたと感じ、信じていた「偽り」を十字架に付け、古い自分に死んだのだと思います。
警察官の対応が以前とは違っている事も、全てが新しくなっている事を示していると思います。
エスさまは、多くの人々をショーンのように癒し、解放し、自由にしたいと働いておられると思っています。

根にふれる祈り 心の傷の癒し①

私の周りには、行く先々で人々から拒絶に会う女性、ご主人のモラハラに日々苦しんでいる女性がいます。

彼女達の苦しみは計り知れません。
エスさまは介入して彼女達を助け出して下さらないのでしょうか。

彼女達は被害者のようですが、実はそのような状況に追い込まれるに至る原因となる「傷」が過去にあったと私は思っています。

ロブ・モリセット著 「根にふれる祈り」には、どのように祈って行けば良いのか、また実際にどのように癒されていったのかの証しにあふれた本です。

その序章「はじめに」は私の経験から辿り着いた結論に近い事が書かれていたので、長いですが、序章の前半を紹介したいと思います。

序章において、内容的に不足と思うところは「根を取り除く」という表現を使用していますが、それは「古い人は十字架について死んでいる」という真理を指しているのですが、その事が抜けている事、全てのミニストリーの主役は「聖霊なる神」であって、方法論ではないという事です。

次の記事では、具体的な証しを本から引用したいと思っています。

はじめに

祈りのミニストリーを受けに来られた人たちから、ミニストリーを終えた後で、たびたび尋ねられる質問への答えとして、この本を書きました。私の用いているミニストリーでは、まずその人の現在の問題を互いに分かち合っていく過程で、その根となる要因を見出すように導いてから、問題を一つひとつ掘り下げて、ともに主に祈っていきます。その結果として、その人の心の内側に起こったある意味でのはっきりとした変化を、その人自身が認識していくのを見守る、という形をとっています。
そしてたいていの場合ミニストリーを受けた人たちは、もし違う問題がまた後から出てきたら、自分でどうすればよいのかと心配になるようです。
だから、「祈りのミニストリーを受けて根の問題を祈っていった時、どんなステップを踏んでいったのですか」とよく質問されるのです。
そういう訳ですから、私はこの本を通してその質問に答えたいと思います。

現実に起きている事柄の原因が、過去にどのような根があってそうなるのかを確認していくための手助けを、実践的で、誰もが使いやすい手引書として、また、そうした事柄を掘り下げてどのように祈れば良いのかというガイドラインも載せました。

私たちは自分の問題を、とりあえず「表面的」な解決や「バンドエイドを貼る」ような処置をしてしまいがちですが、これでは深い部分までは取り扱えません。時々人からの意見で「新しいパターンと習慣に変える」または「新しい考え方をするように努める」といいのかもしれませんが、ここで勘違いしてほしくないのは、これらの助言に効力がないということではありませんが、必ずしもすべてに適応させることのできるやり方ではないということです。人との関係や新しい状況の中で担ってしまう重荷の多くは、その人の過去に傷ついたことが根としての要因となっている点に、私は注目しました。
その場合、持続していう結果を得るためには、典型的な「バンドエイド療法」によるのではなく、心の深いところまで掘り下げる必要があると思います。
ある事柄が過去の根から来ているのかどうかを見極めて、その根を認識し、さらにどのように取り扱うのか、私はこの本に書き述べていきたいと思います。

この原則を適用することによってより自由になることを経験すると、人はものごとを違う観点から見るようになってきます。私自身そのような経験をしたのです。もちろん現在のすべての問題が過去のできごとに関連しているというわけではありませんが、関連している領域においては、この本が提示している原則を適用されるとおおいに役立つことと思います。

次に述べる章の中で、過去の事柄を祈っていった結果人生が変えられたという、実際にあった話をいくつか載せています。
もしみなさんが私のような願いを持った人でしたら、他の人たちが経験した話を聞くということは、おおいに参考になるでしょうし、特にそのような話によって事実を確認できることは、そう言えると思います。いろいろな話を読んでみなさんが励まされ、本当に希望があることを知って下さるよう願っています。

さらにその希望は、私たちの自分の知識によってもたらされる変化ではなく、むしろ神ご自身がなされることであり、私たちのうちに、神はどんなことでもすることができる、ということに気付いていただければと思います特に、神とともに何かをしようとする時、どのようにすばらしいことが起きるかという事を知っていただきたいと思います。

多くの人たちが過去の事柄について祈る時、主がどうのようにその人の人生をさまざまな領域で変革されていくかを、私はここ何年にも渡って見させていただきました。すばらしいことです。その人たちは、自分と人との間において力関係が変えられていくのを見て驚いていますし、その結果、人生を新しい違った目で見始めています。持ち続けてきた難題や試練を、今までと違った方向で受け入れ、理解していきます。そしてまわりの環境さえも新しい視点から見るようになります。

人生の一つの事柄に新しい意味と目的が出てきます。はじめの段階では、できごとの背後にある「なぜ?」という問いを受け入れるようになり、それからその問いがだんだん「意味をなしてくる」ようになります。自分は過去のできごとの犠牲者であるという意識は少なくなり、人生に起こるできごとにもっと積極的に参加をするようになり、少しずつその人の将来が形づくられていきます。
まだ内面に葛藤はありますが、試みられることがそれほどひんぱんではなくなっていきます。それを重ね、ついに主に介入していただき回復されることによって、多くの人は神のみそば近くに引き寄せられ、神の愛と慈しみと恵みを深く体験していきます。それによって、人の話は他の人が同じことを経験できるように教えたり、助けたりして役立っていきます。その人生は、神がどのように人を変えていくこことができるかという、生きた証となります。
自分がかたく閉ざした弱さという領域から、祈りのミニストリーを学んでいくのです。

いやし主であるイエスに近づいて成長することによって、人は自分と同じように、他の人を主イエスに近づけていく手助けをすることができるようになるのです
過去の事柄について祈ることにどうしてこれほど効果があるのかというと、そのことが私たちの思いだけではく、心の中に架けられていた丸太のような障害物さえも取り扱うからです。そして現在の問題の要因となっている多くの「心の中のできごと」を取り扱っているからです。

心に根づいていることを掘り下げて祈った結果、変わる経験をすることは、本当に過去の傷が私たちにどれほどの影響力をもつかを示すことになります。
この経験は私たちの人生に種まきと刈り取りの法則を明確にします。
過去について祈ることによって、自分の人生に起きるできごとにどのように対応していくかは、自分の人生だけではなくまわりの人たちにも影響を及ぼすことになります。そうでないことを望みますが、過去の傷や痛みは自分ひとりの問題であることはまれなのです。それは傷を受けた者だけではなく、その周りの人たちをも悩ませる、膿んだ傷となっていきます。

ひとたびイエスが私たちの主となる時、主は一人ひとりを「ますます聖め」始めてくださいます。この継続を「聖化」といいうます。聖化は、神が私たちをもっと御子イエスの姿に似せていかれる過程です。私たちに天国にいく備えをさせるとともに、この世においても益となる者となってほしいと、神は願っておられます。
神は私たちをこのままで愛しておられますが、同時に、私たちがこの状態のままであることを、放っておけないほど、愛しておられるのです。

心の内側にある悪い部分を、根から取り除くことによって良きものをもたらしたいと思っておられます。その過程において私たちが神に用いられるならば、なんと幸いなことでしょう。それは、みなさんや私が選び取るかどうかなのですが、人が生きていくうえで、神はすべての人に、形づくられ建て上げられていく機会を与えて下さっています。その機会が、いつどのような時におとずれるかについては、心配する必要はありません。自分のできることは、ただ単に主イエスを追い求め、その歩みの中で主イエスに協力することです。

私が気付いた方法のうちの一つに、主イエスが聖化をもたらそうとする時、私の人生の中で光を照らしたいところをかき立てて、呼び覚ますものがありました。たぶんみなさんも同じことを思い出されるかもしれません。主イエスがそうする時、特にいやされてほしいと願う部分に私たちの思いが集中するようにしむけます。
たいていのそのような体験はおもしろくないし、自分からは選びませんが、そのことが過去とつながっていて、どのように認識してよいかわかってくると、この機会を自分が変わることのできるチャンスとして受け止めるようになる、ということがわかりました。
その上で言っておきたいことは、過去の傷からいやしを受けるのは大切ですが、それがすべての癒しにつながるわけでもなく、忍耐や根気や試練を通して築くことのできる人格形成にとって代わるというわけでもありません。さらに、それが困難に強く立ち向かうこと、自分を鍛錬することや祈ること、他の人に助けを求める必要がなくなることなどというわけでもありません。また、過去のまだ解決されていない事柄があるから、といって、罪深い行動や考えをしていい、という言い訳にはならないのです。
また、私たちにある現在の葛藤のすべてが、過去の事柄に関係しているのでもありません。成熟しているという証明は、どのような状況においても自分の考えと行動に責任を持っているということです。

つづく