ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

根にふれる祈り 心の傷の癒し②


前記事の冒頭で、行く先々で人々から拒絶に遭う女性、ご主人のモラハラに日々苦しんでいる女性がおられる事を書きました。

彼女達は被害者のようですが、実はそのような状況に追い込まれるに至る原因となる「傷」が過去にあったと私は思っています。

その傷によって、「私は愛される価値のない人間だ」「私は何もしてないのに、いつも人からの拒絶に遭う」「自分は馬鹿でのろまだから、主人に『お前は何一つできない奴だな』と怒鳴られても何も言い返せない」と「偽り」を信じ込んでしまっています。
この「偽り」を信じる原因になった出来事には「裁きの心」があり、それ以降、出会う相手の思いを汚し、「偽り」通りの状況をもたらす事があります。

主はそのような状況から私たちを助け出して下さるという証しが
「根にふれる祈り」ロブ・モリセット著の本の中にあるので転載したいと思います。


「消えてなくなった!」

ショーンは最近、恋人と別れたので、なんとか立ち直りたいと私に助けを求めてやってきました。彼はとても彼女を愛していたにもかかわらず、一緒にいる間、何回も彼女に対して怒り、けんかになったと言います。
他の要因もあったと思いますが、このことも彼女が彼から去っていった原因の一つであると後悔しながらも、彼は少しずつ気付いていきました。
この失恋を通して、その他にも無視できない強い否定的な感情が見えてきました。
どんなに自分を納得させようとしても、どんなに親しい人に自分の気持ちを分かち合ったとしても、彼にとっては何の意味もないようでした。何か心の表面下に絶えずくすぶっている怒りがあるように見えました。

ショーンが最初に私のところにミニストリーを受けに来室した時、かなり気分が滅入っていて、ただ安堵感を得たいように見えました。
彼の中に、発散してしまいたいことがたくさんあるようでしたので、私は、自由に何でも今までのことを話して分かち合おう、とすすめました。

彼女との関係を話していくにつれて、自分はそのつもりではなかったのに相手につらくあたって「君はぼくにとって取るに足りない人間だ」というメッセージを送ってしまったということが分かってきました。
皮肉なことにこの思いは、彼自身が彼女と付き合っていた時によく感じたものだったのです。変わってほしいところを彼女に指摘すると、彼女は批判されているのだと受け取ってしまい、それが口論の原因のほとんどだったようです。

これに加えて、どのように二人の関係が終わったのかも問題だったのですが、彼女が突然に彼のもとを去ってしまったので、彼は心の内で終止符が打てなかったのです。
彼女は彼と話したがらなかったし、言わなければと彼が思っていたことを聞こうともしませんでした。電話をかけても出ないし、留守電にも返事が返ってこなかったそうです。その結果、自分が悪い人間のように思え、自分こそが彼女にとって足りない人間だったのだと感じました。
さらに悪いことに、もうどうにもできないほどに力が抜けてしまって落ち込んでしまい、挙句の果てには、ただただ怒りのみが込み上げてくるのでした。

ショーンが、何かに対して自分は取るに足りない人間だというメッセージをもらったのは、この時が初めてではなかったのです
同じようなことが実際に何度もあったようです。何度試みても、ある条件がそろうとこの古い感情がよみがえってきて、克服できなかったと言います。
彼がこうした出来事に取り組み、すべてをなくするのではなく続けて取り組んでいくことを評価してあげなければなりません。ただ、何度も繰り返し経験している彼にしてみれば、怒りがたまっていらだつばかりです。
ひょっとして、よりが戻るかもと期待したけれども、別れた彼女とはどうにもならなかったようです。しかし主イエスは、私たちの思いを引き出すだめに、こうした状況を用いられるのです。

彼との時間をもっていた一週間の間に、ショーンは自分がどのような育ち方をしたか話してくれました。
その中で、別れた彼女と付き合っていた時に感じたような出来事を、少しずつ思い出しました。

その一つは、彼が生まれた時のことでした。母親は彼を愛してはいましたが、産んだ当時、本当は子どもが欲しくなかったそうです。それを時々言っていたらしいのですが、彼はあまり気に留めていませんでした。
結婚当初、ショーンの両親は互いの関係に行き詰って、よくけんかをしていたそうです。母親は夫から必要とされていないと感じ、自分は劣っていて「彼にとってふさわしくない」と思い込んでいました。明らかにショーンはその母親の痛みを感じ、自分の心の内に母親の思いを取り入れてしまっていたのでした
この幼少期の決断が、彼にこの嘘の「フィルター」を通して人生を見るようにさせたのです

また彼が育ってきた過程で、父親は他人との約束は守るのに自分との約束は守らないのだ、ということも思い出しました。怒っていたけれども、子どもたったのでどうしようもなかったと感じていました。そして父親がしていることについて、文句を言うことはできませんでした。
人との約束を守ることによって他の人を助け、家族を養うために働いて良いことをしていました。しかしショーンは、父親が自分だけには約束を守らなかったので、息子である自分はあまり価値ある人間と思われていないと感じてきたのです。
この事実は、彼がすでに信じていた「自分は父親に対して取るに足りない人間なんだ」という嘘に上塗りすることになりました。

ショーンの父親はいつも他人に寛大で、まじめに働き、家族をよく養っていました。親のこうした特質は、普通は子どもたちにとってすばらしい模範となります。
しかしショーンにとっては、父親は人には身を低くして助けるのに自分にはつらく当たるのだと思う時があり、このことが彼を怒らせたのです。
さらに悪いことに、それを親に言おうとすると両親とも彼に耳を貸さなかったのです。
こうした経験により、誰も自分のために時間を割いてくれないのだと、思い込むようになったのです。

このことやその他の経験によって、彼の心の内側深くは、段々頑なになっていきました。まるで子どもの頃に感じた心の傷の痛みから蒔いた種が心の奥深く根付いて、まるで庭に生えている草のようにふえ広がってしまったかのように思えました。

この集中的に面談の時をもっている間、私は彼の傷ついた様々な経験を詳細に書き出していきました。その中で注目したのは、ショーンが大人になっても繰り返し同じ否定的なメッセージを信じ続けたことでした
特に「自分は価値がない」という意味をもったものを。

私たちは、その後ゆっくりと休み休みミニストリーをしていきました。
心の準備ができて、記憶の一つひとつについて彼が祈れると感じた時に、少しずつ祈っていきました。
思い出したその部分で、どんなことがあったかを祈る時は、ゆっくり時間をとって、その内側の深いところにあった怒りや満たされない気持ち、痛みを主に告白するようにしました
それをすることによって、彼の心は本当に聞いてもらえたと感じました。

また、過去のいろいろな出来事の中には他にも否定的な裁きがありました。それは「自分はまだ子どもだから、人生は難しい」「誰も気にかけてくれない」さらには「自分がどんな時でも変わらなければ」などというものでした。

最後の日の前夜、ショーンにとっては神からの試みのようでもありましたが、しかし、驚くことが起こりました。
ショーンはその夜、いろいろ思い巡らしながら車を運転していました。
何か主が導いて下さったのか、いつもと違う道を走りました。行き着いたところには、別れた彼女の車が誰かの家の外に停めてあったのでした。深く考えもせずに彼は車を降りて、その家の裏の開いている戸のところまで歩き、中を見ようとしたら、そこには別れた彼女が他の男性といたのでした。

以前のショーンであれば、おそらく非常に怒ってその男を殴っていたでしょう。さらにその彼女にも腹を立てていたかもしれません。
だか彼自身が驚いたことに、自分は冷静で落ち着いていたと言います。その場を見て彼が深く傷つかなかったというわけではありません。その状況の真っ只中で、自分のとった態度がいつもと違っていたのです。
むしろ彼女に、以前の自分と付き合っていたことに対して同情を覚えたというのです。彼の内なる人が変えられたのでした。

前のように怒りにかられた衝動的な行動に出ることはなく、自制できるようになりました。加えて、このめったにない状況に出会わせたことによって別れた彼女との関係をきちんと終わらせることになり、同時に自分の心の内側が変えられていく経験をすることになりました。

ショーンはそこを去った後、今さっき起こったことを整理しようと思いながら運転しました。気が動転してしまったけれど、むしろ自分の中にある平安に驚いたと言いました。その間、彼が夜遅くなっても家に戻ってこなかったので、何か悪いことが起きたかもしれないと警察官が家によばれ、彼の帰りを待っていました。

かつてのショーンが何か別のことで逮捕された時、警察官は厳しく問い詰め、同情心のみじんもなかったといいます。彼の言い分さえ聞こうとしなかったのです。
まるで「原因はおまえにある」とでも言いたいかのごとく、厳しく彼に当たったそうです。しかし、この夜ほんの少し前に起きた出来事に加え、過去の経験からすれば、普通ならばここでショーンがどのような態度をとるか想像できるでしょう。

はじめは、警察官はそんなに遅くまで出歩いていたことに対して、厳しい態度をとっていました。しかし、彼に対して以前のような取り扱いとは違っていました。
彼らがいろいろな質問をして聞いてくれたので、その夜、別れた恋人と出くわしてしまったということを話しました。警察官は、自分は職業柄「タフガイ(頼もしい男)」でないといけないのだが、時には家に帰ると泣くこともあると話てくれました。警察官らはショーンに好意を持ってくれ、同情的でもありました。

この時、ショーンは裁かれているとは感じないで、むしろ、ついに話を聞いてもらって協力してもらえるような、充分に「取るに足る人間」になれたのだと感じました。

過去のある部分の事柄について祈った結果、ショーンは心の中に新しい自由を体験することができました。
明らかに変革が起きたのです。以前のような行動に衝動的にかられることは無くなりました。
彼を悪い方に向けて否定的な思いに駆り立てる何か、そして彼の内面にあった何かが「なくなった」ようです。

数日後、ショーンは私に、自分の中にあった激しい怒りが本当に消えたみたいだと、話してくれました。
彼の言うことばで表現すると、
「なんてすごいことなんだ。 あの怒りがもう消えてなくなったなんて!」

以上になります。

両親との関係を通して、「自分は父親に対して取るに足りない人間なんだ」「誰も自分のために時間を割いてくれない」「自分は価値がない」という「偽り」を信じ続け、「怒り」を持ち続けた為に、繰り返しそのような状況が引き起こされていたのです。

けれど、その内側の深いところにあった怒りや満たされない気持ち、痛みを主に告白するようにした時、彼の心は本当に聞いてもらえたと感じ、信じていた「偽り」を十字架に付け、古い自分に死んだのだと思います。
警察官の対応が以前とは違っている事も、全てが新しくなっている事を示していると思います。
エスさまは、多くの人々をショーンのように癒し、解放し、自由にしたいと働いておられると思っています。