ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

宗教的シオニズムや聖書解釈における「ヘブライ的回帰」の問題点



「宗教的シオニズム」や聖書解釈における「ヘブライ的回帰」の問題点は、御子の次の言葉によく表されている事を教えて頂いた。


エスは答えられた、「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。(ヨハネ18:36)


御子の国はこの世のものではないのに、なぜイエス・キリストの福音を信じ、霊的な御国に属する者として贖われた人が、地上の政治国家全体を擁護しなければならないのか。しかも同じ国の中で敵対する側(パレスチナ人)を非難するような形で…。

神の計画は『大患難』を通してでも「今は頑なイスラエルの民を救うこと」、そして「御子の統治による王国を実現すること」であって、決して「現在の政治国家としてのイスラエルの建国」や「繁栄」を実現する事ではない。

私達は皆、もっと御子の「わたしの国はこの世のものではない。・・・・しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」という言葉を真剣に受け止めるべきです。
この言葉は十字架の死の直前に御子が語ったものですが、十字架の死によってそれは公に示されたからです。
だからこそ、自身十字架の死を霊的に体験した使徒パウロは以下のように告白しました。
「しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。」(ガラテヤ6:14)
この御言葉は信仰生活を送る上で、もっとも要となる事であると思います。

私自身、パウロのように十字架の死を霊的に体験できるように祈ります。