ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

イスラエル共和国がどのような根拠で、 政治的、軍事的に奪い取って作ったのか③

② https://blogs.yahoo.co.jp/jesusdiary21/43534511.html の記事に付随してイタリア語の資料ですが、以下のようなものもあります。


上記には、第一次大戦前までは現在のパレスチナの領域はオスマン帝国の領地だったのですが、イギリスは第一次大戦における協力を条件に、その地域のアラブ人権力者に独立を約束していました(1915年)。しかし現実には、1917年の段階ですでに、イギリスの外務大臣バルフォアがパレスチナユダヤ人独立国を創る宣言をしています。
興味深いのはその動機ではないかと思いますが、それはバルフォアのウィキペディア日本語ページにも書かれています。

「バルフォアが外相になった頃(1916年末)は、ちょうどイギリス軍が敵国オスマン帝国の領土パレスチナに進軍する作戦を立てていた時期であり、この作戦は1917年1月から実施された。また1917年3月にはロシア革命により反ユダヤ主義的なツァーリ体制が崩壊し、ロシア国内の反ユダヤ諸法が廃止された。こうした中でハイム・ヴァイツマンや第2代ロスチャイルド男爵らのシオニズム運動は盛り上がりを見せ、バルフォア外相のもとにもパレスチナユダヤ人国家樹立を認めてほしいという嘆願が多く寄せられるようになった[169]。バルフォアはもともと「ユダヤ人国家」を餌にユダヤ人をウガンダに移民させて大英帝国によるウガンダ植民地化の尖兵にしようというジョゼフ・チェンバレンの英領ウガンダ計画を支持していた。そのため1906年にはウガンダ移民計画を拒否したヴァイツマンを叱責したことがあったが、ヴァイツマンから熱心な説得を受けて、シオニズムを支持するようになった[170]。1917年時のイギリスの国益上の観点からはパレスチナにイギリス庇護下のユダヤ人郷土ないし国家を作ることでパレスチナを「アジアのベルギー」にし、大英帝国の生命線であるスエズ運河を守る拠点とする考えがあった[171]ロスチャイルド卿がバルフォアに提出した草案の返答として、バルフォアは1917年11月2日付けで「パレスチナに現存する非ユダヤ人共同体の市民的権利と宗教的権利、あるいは他の国でユダヤ人が享受している権利と政治的地位に不利益を被らせない範囲で、陛下の政府はパレスチナユダヤ人のための郷土を建設することに最善の努力をする」としたバルフォア宣言を発した[172]。この宣言はイスラエル建国の基礎となった文書としてよく知られている[173]。他、バルフォアは国際連盟委員会の設立にも一役買った[174]。」
(引用終わり)

つまりイギリスにとってイスラエル建国は、預言的な動機によるものではなく、植民地政策の延長であり、政治的・地政学的動機によるものだったのです。
もしこれを「政治的」と形容しないとすれば、何を政治的だと言えるのでしょうか。

またイスラエル建国時の残虐行為に関しては、
イギリスのExeter大学でイスラエル史を教えている方の資料に「1945年から1956年の間に、アラブ人の37の村々が抹殺された」とあります。

また、『もう一つの「血の記憶」』

の記事の中に
イスラエルの建国時の残虐性」

というのがありますが、記事を紹介されている方は「個人的には、 サイト主の意見に対して全面的に賛同しているわけではないが、 歴史の本やマスメディアでは取り扱われない史実を扱っているとい う意味で、参考になると思う。」と仰っています。

結論としてですが、「なぜイエス・キリストの福音を信じ、霊的な御国に属する者として贖われた人が、地上の政治国家全体を擁護しなければならないのか。しかも同じ国の中で敵対する側(パレスチナ人)を非難するような形で…」という思いがあります。

預言者ダニエルに対して語られた言葉を読んでいて思うのですが、神の計画は『大患難』を通してでも「今は頑なイスラエルの民を救うこと」、そして「御子の統治による王国を実現すること」であって、決して「現在の政治国家としてのイスラエルの建国」や「繁栄」を実現する事ではないのです。

その点を混同していることが、「福音派シオニズム」の大きな問題であると思います。

以上になりますが、3つの記事から「イスラエル共和国がどのような根拠で、 政治的、軍事的に奪い取ったのか」の答えを見つけて頂けたら幸いです。