ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

光によって私の『心』を照らしてください


私の信じる「主なる神」は、天地とその中にある人間、動植物、被造物を全て創造されたという認識はありました。

「しかし創造主なる神は『心』という、何と驚くべきものを造り、人間に与えたのだろうか。それは他のあらゆる被造物とは全く異なり、あらゆる矛盾に覆われながらも時空を超えて無類の光彩を放ち続けている」


という文章を読んだ時、『心』も主が造られたという事をあらためて認識する事ができました。これは本当に驚くべき事だと思います。

『心』は美しいものを美しいと感じ、幼子を見て可愛いと感じ、相手に尊敬の念を抱いたり、悲しむ人のそばにいて共に悲しむ心や哀れみの心を感じたり、人を愛する心、自分が犯した罪に対する罪責感を感じたり、執着心、むさぼりの心、善いものも、罪に繋がるものも、書き出せばきりがない程の動き、働きがあります。
中でも一番大切なのは、神と隣人を『愛する心』と、救いに不可欠な『悔い改めの心』なのかもしれません。

ガラスのハート
鏡、
澄んだ湖
のイメージが『心』にはあり、とても繊細で純粋無垢な感じがします。

でも、自分の『心』を覗き込むと

「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう。」(エレミヤ17:9)

陰険で汚い『心』が内にあるのが見え、私は20年に渡って苦しんで来ました。
けれど、そんな私に

「光が、やみの中から輝き出よ。」と言われた神は、私たちの『心』を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を知る知識を輝かせてくださったのです。(Ⅱコリント4:6)

そのような汚い『心』を聖めて下さる為に、主イエスは十字架に架かり3日目によみがえって下さった事を主は啓示してくださいました。

そして、主イエスが自分の罪の為に十字架に架かって死んで下さったと信じた時、その『心』の中に聖霊なる神が住んで下さったのです。
神御自身が内に住んで下さるなんて、この事も本当に驚くべき事です。

栄化されるまで、『心』は聖くなる事はないので、
『心』を見つめるならその闇や汚さ、にがっかりします。
 
けれど、いつも『光』である主イエスを見つめ続けるなら、心の中にある『闇』は消え、それが「罪」であるなら悔い改めに導かれていくのです。

主イエスはその為に来て下さったのだから。


:35「そこでイエスは彼らに言われた、『もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。

:36 光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい』。イエスはこれらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった。

:46 わたしは光としてこの世にきた。それは、わたしを信じる者が、やみのうちにとどまらないようになるためである。

私の記事よりも、もっと素晴らしくこの事を、シンボリズムと聖書から解き明かして下さっている記事をご紹介します。

an east windowより