ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

救いの確かさ


我々は神さまに救って頂いたら必ず救われます。
救ってみたけれど、ものになりそうにないからダメだというような事は神さまはなさいません。
神さまが救って下さったら、必ず救いを完成して下さる。
神さまの確かさがそこにあります。

小さな子どもが親と一緒に歩いています。
子どもが親の手を握っていたら、手を離すと転んでしまうでしょう?
親が子どもの手を握っていたらどうですか?
子どもは躓いても倒れてしまうことはない。

救いというのは、私が神さまの手を掴んでいるのではない。
神さまが私の手を掴んでいて下さる。

ヨハネ10:28-29にはっきりとその事が記されています。

『わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。

わたしに彼らをお与えになった父は、すべてにまさって偉大です。だれもわたしの父の御手から彼らを奪い去ることはできません。』

つまり神さまが掴んでいて下さる。これが救い。救いの確かさというのはそういうことです。

                                 尾山令仁

今朝、次の聖句を見つけた。

詩篇73篇 アサフの賛歌

:21 私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、
:22 私は、愚かで、わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした。
:23 しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
:24 あなたは、私をさとして導き、後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。
:25 天では、あなたのほかに、だれを持つことができましょう。地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。
:26 この身とこの心とは尽き果てましょう。しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。
:27 それゆえ、見よ。あなたから遠く離れている者は滅びます。あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。
:28 しかし私にとっては、神の近くにいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避け所とし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。