キリストの復活のいのちの力
以下は、「キリストの復活のいのちの力」を日々経験することができる『信仰の基礎』として、非常に重要な聖句です。
【Ⅱコリント12章】
:9 しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
【ピリピ3章】
:10 私は、キリストとその復活の力を知り、またキリストの苦しみにあずかることも知って、キリストの死と同じ状態になり、
:11 どうにかして、死者の中からの復活に達したいのです。
【Ⅱコリント1章】
:9 ほんとうに、自分の心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせてくださる神により頼む者となるためでした。
:10 ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私たちを救い出してくださいました。また将来も救い出してくださいます。なおも救い出してくださるという望みを、私たちはこの神に置いているのです。
【Ⅰコリント4章】
:7 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。
:8 私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
:9 迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
:12 こうして、死は私たちのうちに働き、いのちはあなたがたのうちに働くのです。
私自身、「キリストの復活のいのちの力」を日々体験するところまで行かずに、自力で何とかしようとしたり、自己憐憫に浸ったりしている事の何と多い事だろう。
「信仰の基礎」として、この聖句を常に忘れずにいたいと思う。