ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

聖霊のバプテスマと異言

以前、「聖霊バプテスマ」と「異言」について、敬虔なクリスチャンの兄弟に質問した際の解答を覚書に残して起きます。

聖霊バプテスマは、十字架の体験と切っても切り離せない関係です。

ローマ6:3-5
3 それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。
4 すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。
5 もしわたしたちが、彼に結びついてその死の様にひとしくなるなら、さらに、彼の復活の様にもひとしくなるであろう。

私たちの全てが御子と共に十字架に架けられ、御子と共に葬られました。水のバプテスマはそれを体現しているものです。

そして葬られてしまった私たちが生きるのは、ただ復活した御子の中においてのみ、であります。なぜなら御子だけが聖霊によって死から復活したからです。

すなわち新生した私たちは復活した御子のうち「In Christ」にバプタイズされ、御子のいのちによってのみ、真の意味で生きるわけです。

 そして御子のうちこそ、また御子にうちのみに、聖霊が満ち満ちているのです。

ヨハネ1:16
わたしたちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみにめぐみを加えられた。

コロサイ1:19
神は、御旨によって、御子のうちにすべての満ちみちた徳を宿らせ、

コロサイ2:9-10a
9 キリストにこそ、満ちみちているいっさいの神の徳が、かたちをとって宿っており、
10a そしてあなたがたは、キリストにあって、それに満たされているのである。

エペソ1:23(岩波訳)
この教会はキリストの体、すべてのものをすべてのものの中に満たす方の充満である。
 
だから聖霊バプテスマは「自分が御子と共に葬られた」と「復活した御子のうちにいる」という霊的認識が「ある時点に到達するとき」(この表現が正しいかどうか、あまりわかりませんが、これ以外の言葉が見つかりませんので)、御霊がうちから溢れ出すわけです。

 それゆえ、聖霊バプテスマや霊の賜物の顕現を否定する終焉説者は別として、求めている人にとっては、「不信仰」という問題ではなく、御子の死と復活の霊的意義をさらに深く御霊に祈り求めるという「信仰の対象」が中心に置かれるべきです。
 
「私を真似して、何か声を出して」とか 「ハレルヤと言って」「家に帰ってお風呂の中とかでやってみて」(なぜお風呂の中なのでしょうか。バプテスマと関連つけているのでしょうか)というアドバイスは、励ましの気持ちはわかりますが的はずれだけでなく、真の経験から遠ざける危険性をもつものだと思います。 

 異言は言うならば「溢れ流れ出る川の流れの音」であり、目的ではなく結果です。川が激しく流れ出るとき、必ず音を出します。しかし「ジャー」「ザーザー」と水の流れの音を口で真似してみても、水が本当に流れるわけではありません。

ヨハネ7:37-39
37  祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
38 わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
39 これは、イエスを信じる人々が受けようとしている御霊をさして言われたのである。すなわち、イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊がまだ下っていなかったのである。

 御子は「すでに」復活し、「すでに」栄光を受けています。だから御霊も「すでに」人々のうえに下ることができ、その人の心の御座から生ける水が川となって流れ出るのです。


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よく使われるイメージですが、聖霊が下る現象について鳩のシンボルが使われており、その鳩は二つの翼をもち、一つは「聖霊の賜物」で、もう一つの翼は「聖霊の実」であると言われています。つまり聖霊が下る時にはその二つの面がバランスよく顕れるという意味です。
実際、聖書には9つの賜物が言及されていると同時に、聖霊の実(単数形)も9つの要素を備えているのは、素晴らしいことだと思います。

Ⅰコリント12:7-10
7 各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。
8 すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、
9 またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には、一つの御霊によっていやしの賜物、
10 またほかの人には力あるわざ、またほかの人には預言、またほかの人には霊を見わける力、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が、与えられている。

ガラテヤ5:22-23
22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、
23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。