ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

エホバの証人という名前の由来☆

 
エホバの証人という名前の由来を知りました。
 
『1919年以降、ラザフォードは自分の追随者である「聖書研究者」とラッセルを受け継いではいるが、必ずしもラザフォードに従わない「聖書研究者」達とを区別する必要があった。
 
1921年7月のオハイオ州コロンブスでの全国大会で、
彼は自分達の宗教を「エホバの証人」という新しい名前で呼ぶことを発表した。
 
これはイザヤ書43:12「あなた方は私の証人である」から取られた。
 
彼はイザヤ62:2を引用し、『神の民は「新しい名前」を与えられると書いてある』ことを
根拠とした。
 
ところがイザヤ書をもう2節読み進むと、
その新しい名前は「エホバの証人」ではなく、
「私の喜びは彼女にある」であり、
ラザフォードのつけた名前は彼が引用した聖句には基づいていないのである。
しかし、この新たな宗教の名前も多数の信者の意気を高揚させるのに役立った。』
 
たまたまイザヤ書43章の御言葉について、エホバの証人の方と話していたので、
上記の内容を説明しました。
ところが返って来た返答は以下のようなものでした。
 
イザヤ書 は「ユダ王国がエホバから離れた結果、バビロニア帝国に滅ぼされることを予告しただけでなく、その後悔い改めた民はバビロニア捕囚からエホバの導きにより帰還し、エルサレムで清い崇拝が回復される」ことも預言している書なんですね。そして、それが終わりの日に起きることのひな型になっていることや、メシアに関する預言、更に千年統治の預言も含まれている壮大なスケールの書であることはMIKUさんは熟知されていることと思います。

この62章に、エルサレム(シオン)についての描写が「女」とか「妻として所有される」とかありますよね。これは神との契約関係を夫と妻になぞらえる聖書表現であることなのは、きっと存知だと思います。

神との契約関係にありながら神から離れ、それにより荒廃を被った民の以前の悲惨な霊的状態と比べるなら、帰還した民の霊的状態はなんと対照的なんでしょうね!悔い改めたシオンに神に祝福された素晴らしい霊的状態があることを4節で比喩的に表しています。

アブラムがアブラハムヤコブイスラエルに名が変わった(新しい名という表現がそのまま使われている啓示2:17や3:12などもありますよね)、新しい名についての聖書の様々な記述を比較考慮した時、「新しい名 」は新しい立場や特権を意味している場合もありますよね。

古代エルサレムの崇拝の復興の預言を、
現代の崇拝においても適用している聖句   だと私は理解しています。MIKUさんは異議が勿論おありだと思います。

エホバの証人という名称はイザヤ62章2節の新しい名ではないと私は理解しています。新しい名ではなく、その聖句が意味している新しい関係性だと私は理解しているのですが。うまく表現できなくて、ごめんなさい!ラザフォード兄弟はラッセル派と袂を分かつ為に…に関しても今度お伝えさせて下さい!』
 
イザヤ書の書かれた背景や62章2節の聖書解釈などで煙に巻かれそうになっていますが、肝心な事は当時ラザフォードが『エホバの証人』という名前に変更するために、イザヤ62:2を自分の都合のいいように利用した事です。
 
そもそも創始者ラッセルもマタイ24:45「主人から、その家のしもべ達を任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべ」は自分であると言っています。この食事というのは霊的な食物、つまり聖書の説き明かしができるのは自分しかいないと言っているのです。
この前後の文脈を読めば、「目をさましていなさい」という事を言う為の譬え話だということが分かるのですが、エホバの証人の信者の方は騙されてしまっているのです。
 
いくら議論しても無駄な事は重々承知しています。
聖霊がその方に働いて、目から鱗が落ちて真理を知ることができますように。