ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

人につまずくとき

【 サタンの最も巧妙で、水面下に隠れた罠は、すべてのクリスチャンが直面するもの、つまり『人につまずく』ことです。実際、つまずきそのものは、もしそれが罠にとどまっている段階なら致命的とは言えません。しかし、もしそれを拾い上げ、使い、そして心の中で養い続けるなら、私達をつまずかせるのです。つまずいた人は傷、怒り、憤り、嫉妬、復讐心、争い、苦々しさ、憎しみ、ねたみなどの実を実らせていきます。

人がつまずきを拾い上げると、その結果として、侮辱、攻撃、痛み、分派、分裂、人間関係の崩壊、裏切り、信仰の後退などが起こってきます。

多くの場合、つまずいた人たちは、自分が罠に掛かっていることに気付かないままでいます。そういう人達は、人によってもたらされた悪に自分の神経が集中しているので、自分の状態に気づいていないのです。彼らは「否定」という真理状態にあります。敵が用いる最も効果的な方法は、私たちが自分自身に焦点を当てるようにさせることです。

つまずきから自由であり続けることが、すべてのクリスチャンにとって本質的に重要なことです。なぜなら、イエスが言われたように、生きている限り、つまずきに会わないことは不可能だからです。】(ジョン・ビビア 人につまずくとき P12-13)

ルカ17章

:1 イエスは弟子たちにこう言われた。「つまずきが起こるのは避けられない。だが、つまずきを起こさせる者は、忌まわしいものです。

:2 この小さい者たちのひとりに、つまずきを与えるようであったら、そんな者は石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。

:3 気をつけていなさい。もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。そして悔い改めれば、赦しなさい。

:4 かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、『悔い改めます。』と言って七度あなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」

「人につまずく」という、つまずきが起こるのは避けられないとイエスさまは言っています。そして、「つまずきを起こさせる者は、忌まわしい」とも言っているので、その点にも注意を払わなければなりません。

その後、すぐに、「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒め、悔い改めれば、赦してやりなさい。」と言っておられますが、これは相手の為ではなく、自分自身の為なのだと上記を読んで思いました。いつまでも人から受けた「つまずき」を拾い上げ、持っているなら、傷、怒り、憤り、嫉妬、復讐心、争い、苦々しさ、憎しみ、ねたみなどの実を実らせていき、人間関係を破壊、そして神との関係にも影響し、神の愛と臨在を受け取れない状態になってしまうのです。

今日、指導者たちの間に誤りを見つけたり、人につまずいて、あまりに簡単に人々が教会を去り、また自分達のビジョンや例えば預言的な奉仕が受け入れてもらえないからと教会から教会へと渡り歩いています。もし問題に直面しないままなら、私達の心は「つまずいた」ままです。

教会を去ることが問題の解決にはなりません。教会を去る時は

まことにあなたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれていく。(イザヤ55:12) 

 であって欲しいと主はジョン・ビビアに語られました。(勿論、カルト化した教会や福音の真理から外れてしまっている教会の場合は痛みを持って出る事になり、その限りではありません。)

【どこの教会に行くべきかを選ぶのは、あなたではないのです。聖書は「神は、自分たちの望む通りに、キリストの体の中にそれぞれの器官を備えてくださった」とは言っていないのです。そうではなく、 

「しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。」(Ⅰコリント12:18) 

もしあなたが、神の望んでおられる場所にいたいなら、悪魔がそこからあなたを引き出そうとして人間関係でつまずくようにするということを、よく覚えていてください。悪魔は、神が植えられた場所から人々を根こそぎ抜いてしまおうとします。もしあなたがそこからいなくなれば、それは悪魔の成功を意味します。もし譲歩しなければ、あなたは悪魔の計画を台無しにするのです。】(P85)