ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

心に癒しと解放を グレース・トキ④ 父の愛を妨げるもの

今回は人生に「悪い実」を結ぶ4つの心についてお話したいと思います。

【石の心】

「石の心」とは、私たちが自分の心を頑なにし、自分自身の弱さや他人から心を守ろうと壁を作ってしまうことです。しかし、その壁はあなたを孤立させてしまいます。

「石の心」は過去に受けた傷の痛み、ストレス、不満足などから心を守ろうと幼少期に作られたものです。多くの場合、「石の心」は隠されています。無意識のうちに、神の愛や人との親密な交わりを拒否してしまいます。

「石の心」を持つ人は、周囲に悪い影響を与えます。冷たい心、頑なな態度、自己中心などが芽吹くからです。その人がクリスチャンの場合、頭では「自分は思いやりのある人でなければならない」と知っているので、奉仕はします。しかし、誰かがその人に向かって「あなたのために祈らせて」「ヒーリングセミナーがあるから行こうよ」と言ったら、「結構です。大丈夫ですから」と拒否します。

【内なる誓い】

内なる誓いは、自分に対する「呪い」と言えます。子どものころに誓約して、忘れている場合がほとんどです。内なる誓いは見つけるのが難しく、かつ強力なものです。瞬間的、潜在的であることが多いためです。過去の「苦い根」(③参照)による裁きが関わっていることもしばしばです。

例えばアルコール中毒の父を持った子どもは「父は臆病で自分勝手である」と裁き、「自分の力で生きていかなければならない」と誓います。

虐待的な母に育てられた子どもは「母親は信用できない」→「私は人を愛さない」と、誓ってしまいます。

【偽りの恥】

水運びを仕事にしている人がいました。彼は両肩に器を提げて川に行き、主人に水を運びます。片側はきれいな器、もう片側はひび割れていました。

ひび割れた器からは水こぼれて汲んだ水の半分しか残らないので、器は自分を情けない、恥ずかしいと思い、この男性に話しかけました。「私のせいで本当に申し訳ありません。私は自分が本当に恥ずかしい」

男性は器を憐れんで言いました。「私が毎日通る道を見てごらん。あなたのひび割れを知っているので、道の一方に花の種を植えました。その花を私は主人の食卓に供えている。主人はとても喜んでいますよ」

私たちも同じように「自分はひび割れた、つまらない器だ」と嘆くことがあります。神様はその不完全さすら用いることができるのですが、神ではなく自分に焦点を合わせているため、「偽りの恥」が心を支配します。

「本当の恥」は「行動」に焦点を合わせています。それは成長の過程で良い経験にもなります。「本当の恥」は「失敗してしまった」と正面から認めることができる恥です。「偽りの恥」は、ゆがんだ価値観と自己像から来ます。欠点ばかりの自分を見られ、拒絶され、人間関係がうまく築けないことを恐れます。そのため深い劣等感を伴います。ほめられても「自分がやったことは不十分だ」と思い、批判を受けとめることもできません。「偽りの恥」は心の痛みをやわらげるため、本当の自分を隠すための「仮面」をつけます。私たちはあまりに長い間、この仮面をかぶっているので、仮面をつけていることすら忘れます。役割によって仮面をつけかえることもします。そうやって、自己が失われ、虚しさだけが残ります。

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【パフォーマンス志向】

パフォーマンス志向の人は「人に認められて初めて自分に価値があると思える」タイプの人です。そのため、一定以上の業績を上げようと努力します。一方とても防衛的で、批判を受け入れることができません。また怒り、不安、孤独などの感情を力で抑え込みます。完全主義者であり、自分で作り上げたルールに縛られています。

 

自分に思い当たる節がありましたか?もしそうなら主に感謝しましょう。心の癒しと解放は「気づく」=「自分自身の問題を認識すること」から始まるからです。気づいたら、主の前に悔い改め、告白し、相手や自分を赦すのです。

自分の心の痛みを見つめたり、仮面を外すことは痛みを伴います。しかし、タマネギのように、一皮むけたら次の皮がむけていきます。

滝の上で綱渡りする名人を想像してください。あなたは名人に背負われておます。あなたに求められているのは、自分が何かをするのではなく、力を抜いて名人と一つになるぐらい自分を名人に任せることです。

エスさまも同じことを私たちに求めています。あなたの心からどんなに汚いことが出てきても心配ありません。ただ、自分の力を抜いてイエスに頼ってください。