神の真理は正しいと信じ続ける
今日は台風接近に伴い朝から時折強い雨が降る中、投票に行った後、求道中のママ友とその子ども達と一緒に礼拝に参加する事が出来ました。
ママ友は少しずつですが聖霊の声を聞いて成長しているように思います。さらに飢え渇きが与えられ、イエスさまが御もとに引き寄せてくださいますように。
私が礼拝の最中に考えていた事は、
「自分自身の中にある可能性」「誰かの益になること」「砕かれきっていない自我」など、これら全てが御子と共に十字架に架けられ、律法によって呪われ、聖なる神の裁きを受け、葬られたことを信じ、感謝して完成の時まで進む。
の『信じ』が目の前に飛び込んで来て(何かを見ていたわけではありません)、さらにそれは『信じ続ける』という事だと、心に迫って来ました。
上記3つには常日頃、悩まされているのです。でもこれら全て(私そのもの)は御子と共十字架に架けられ、律法によって呪われ、聖なる裁きを受け、死んで葬られた事を日々、告白して『信じ続けます。』
何か特別な体験的なものを求めていたけれど(きっとそれもあるのだと思うけれど)、その体験があったとしても、きっと日々、神の真理は正しいと信じ続ける事が大事なのだと分かりました。感謝しています。