十字架につけられたキリストを本当に信じているか?
昨年、以下の聖句に目が開かれました。
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20)
この御言葉を自分のものとして、さらに深く理解する為に、以下の記事は私の霊に強く働きかけて来ました。
※参考 同じ意味の聖句
ローマ書6章
:4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
:5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
:6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。
:7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
:8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
コロサイ
2:12 あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。