ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

内なる誓い

「キリストの愛を分かち合うことによって壊れた人間関係を修復し、傷ついた者の心をいやす」また、「父の心を子に向けさせ、子の心を父に向けさせる」これがエリヤハウスの使命。

1974年、ジョン&ポーラ・サンフォード夫妻によって始められたエリヤハウスの働きは、世界中の教会に大きな影響を与え続けている。その働きを日本に紹介したのが、大津バプテスト教会の元宣教師、エベリン・エッガー師。その背後には、不思議な神の摂理が存在していた。

【生い立ち 日本宣教】

1930年ジョージア州に生まれる。9歳で受洗するが、明確な救いを経験したのは大学1年夏のキャンプにおいて。

1956年7月、米国南部バプテスト連盟の宣教師として来日。1週間かけて、船で太平洋を渡ってきた。2年間の語学研修の後、福岡、浦和、東京、京都各地で、伝道に携わる。

1983年、大津バプテスト教会の宣教師となる。1993年、大津市北部にある琵琶湖ローズタウンで開拓伝道を始めた頃、大津バプテスト教会ではセルグループを導入。自宅を開放しての集まりを教会の一つのセルとして、枝教会としての形を整えていった。

セルグループをやるようになって、今までの英語クラスを用いての伝道とは違うことに気付いた。「セルでは御言葉を人生に適用させようとしますよね。それで、今までとは違う、もっと深いレベルで交わったり、祈ったりするようになったのです。」と語るエベリン師は、自分がそれまで人間関係の問題から目をそむけていたことに気付く。

悔い改めて、すぐに英会話クラスを全部辞め、セルミニストリーに集中した。

1996年秋、偶然ジョン&ポーラ・サンフォード師のテープを聞く機会を持った。このとき、人を赦せない気持ちなど、心の中の隠れた罪を示されたという。

【内なる誓いからの解放、そして結婚】

1997年6月、米アイダホ州のエリヤハウスで開かれたスクールに参加したとき、エベリン師は「内なる誓い」の罪について示された。

「内なる誓い」とは、心が傷付いた時の自己防衛の手段として、「これからは絶対〇〇しない」と心の内で誓うもの。その言葉が線路のように、誓った通りの方向に自分の人生を導く。その誓いによる束縛をイエス・キリストによって断ち切るまで、人生に同じ結果をもたらし続けるというもの。

ある日の宿題として、自分の中に「内なる誓い」の存在を主に尋ねなければならなかった。その時「絶対に結婚しない」と誓ったことを「聖霊によって」示されたという。すぐに悔い改め、その「内なる誓い」による束縛を断ち切る祈りをした。それから約1時間後、40年振りに初恋の人から突然の電話がかかってきた。

 

その人の名は、ハーブ・エッガー。当時二人は、ジョージア州のユースオーケストラに所属していた。ハーブ氏は5歳年上で、エベリン師との結婚を真剣に考えていた。しかし、彼女は結婚よりも宣教師になる道を選んだ。

その後、ハーブ師は他の女性と結婚し、4人の子どもを設けた。ハーブ師の結婚生活は決して幸せではなかった。そのため、1991年に妻を亡くして以来、再婚したいという思いはなく、むしろ祈りに専念し、主のみこころを求める日々を送っていた。そんなとき、日本で宣教活動をしているエベリン師をサポートするようにとの導きを受けた。早速、南部バプテスト連盟の国際伝道局に問い合わせ、住所を教えてもらう。しかしすぐには連絡せず、それを2、3年持ち歩いていたという。

1996年の復活祭に、勇気を持って手紙を書くが、それを受け取ったエベリン師は「何で今さら」と思い、返事を出さなかった。翌年、再度手紙が届く。そのときは返事を出し、6月にエリヤハウスのカウンセリングに行きたいから祈ってほしいと伝えていた。 

絶妙なタイミングでハーブ師から電話がかかった。それが何を意味するのか。もちろん最初は、共に主に仕えるという思いだったという。しかし、主は二人の心に、お互いを愛する愛を与えられた。

エベリン師の「内なる誓い」について、後に主がさらに深い洞察を与えられた。エベリン師は生まれる前から宣教師としての召しを受けていたが、父はそれを嫌った。従って、自然と娘を拒絶するようになり、拒絶された娘は、父親を拒絶仕返した。そして「自分の人生に男性なんて要らない」という考えを持つようになった。この考えがエベリン師の人生の線路となり、若い頃ハーブ師とつきあっていたときも、結婚したいという思いにはならなかったのだという。

自分を拒絶した父親を赦し、「結婚しない」という呪いを断ち切った結果、エベリン師の人生に新しいステージが幕を開けた。1998年3月、大津バプテスト教会で、浜崎英一牧師の司式下、ハーブ師とエベリン師は結婚。40年振りの恋がここに見事に実った。

【エリヤハウスを日本に導入】

その後、夫婦そろってもう一度エリヤハウスのカウンセリングスクールで学ぶ機会を得た。1999年から各地でセミナーを始め、2001年、主がエリヤハウスを日本で始めるよう導いておられると確信して、南部バプテスト連盟の国際宣教団を正式に引退し、エリヤハウスの働きに専心することとなった。

2002年2月、大津、横浜、札幌の3カ所の教会でスクールをスタート。今年(2004)3月、牧師、牧師夫人、信徒リーダーの多数を含む205名の第一期修了生を輩出。2003年秋には、本部のエリヤハウスから正式に「エリヤハウス・ジャパン」の認定をもらい、日本における祈りのミニストリーが広がりつつある。 

リバイバルイ新聞 2004.6.13より転載