小石
最近、バスのロータリーに向かう渡り廊下で、エホバの証人の方達が書籍や出版物を両手に持って立っておられます。
お話したいなと思いながら、バスの時間もあるので中々立ち止まることが出来ずにいました。
前回は書籍だけ受け取り、
今回はバスを1本見送ってもいい。お話してみようと思いました。
「どうか議論になりませんように。」と祈って
一番、若い女の人に声をかけました。以前、私が本を受け取った女性だったようで向こうは覚えていて下さっていました!
「こんにちは。私もクリスチャンなのですが、明日はペンテコステですね。エホバの証人の方達もペンテコステをお祝いされるのですか?」と聞いてみました。
すると
「いえ、私たちは『イエスの死の記念式』だけを行います」とおっしゃり、エホバの証人2世の方であるのも分かりました。
「復活もお祝いしないのですか?」と聞くと、「はい、そうです。」と答えられました。
私が、「イエスさまの十字架は復活とセットでなければ意味がないんですよ。」と話していると、紳士的な男性信徒の方が話に加わって来られました。
「十字架とおっしゃっていますが、原語を調べると1本の杭となっていて、十字架ではないんですよ。」とおっしゃいました。
私は、「当時、ローマでどのような処刑方法が行われていたのか歴史的に調べてみて頂くといいと思いますが、私にとっては十字架でも一本の杭でも実はどちらでも構わないのです。
大事なのは、旧約聖書に「木に吊るされたものは、神に呪われた者である」と書かれていることです。
イエス・キリストは、律法を守ることができないで呪われるはずであった私たちの身代わりに、木にかけられ、呪われたものとなって私たちを律法の呪いから贖いだして下さったのです(ガラテヤ3:13)。木にかけられ呪われた者となって下さった事が大事であって、十字架でも杭でも私にとってはどちらでも構わないのです。」
と言った時、その男性は「ハッ」としたような顔をされました。
他にもいくつかお話しして別れました。
以前、正木 弥牧師と一度だけお話する機会がありました。
正木 弥牧師は新世界訳聖書がどのように改ざんされているかを調べてまとめて下さっている方です。→http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/masaki.html
こちらもあります。絵が不気味ですが→おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』 正木弥(動画あり) : 宣教 : クリスチャントゥデイ
正木 弥牧師が言われたのですが、エホバの証人の方と話すと議論になってしまう事が多い。
なので教義以外の話題で質問を投げかけていくのが有効的であること。
靴の中に石ころが一つ、二つ入っただけでは、そのまま歩き続けてしまうが
4つ、5つ入ってくると立ち止まって靴を脱ぎます。
そんな小石をいくつか用意して話しかけるといいと教えてくださいました。
例えば、「イエスさまはニコデモに、新しく生まれなければ神の国を見ることはできないとおっしゃっていますが、あなたは新しく生まれた経験はおありですか?」などです。
もっといっぱい小石を用意しよう!と心新たに思った日でした。