ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

自己実現からの解放☆


この世の人達は、自分を造られた創造主なる神を知らないので、自己実現を目指して生きていると思います。クリスチャンであっても、主の為・・・と言いながら、実は自分の自己実現の為に生きている人もいます。私もその一人でした。
今日読んだブログに次のように書かれていて目から鱗だったので覚書の為に残させて頂きます。
「どこかに泉が湧くように」

「きょう、惠泉塾の朝のデボーションで、水谷惠信先生がある家庭集会でなさった「私たちの本当の姿」という伝道メッセージをテープで聴きました。水谷先生の伝道メッセージの焦点は、十字架による罪の赦しにはなく(というより、罪の赦しは、すべての人に与えられた恵みの事実として、信じて受け取るべき神に喜ばれる生き方の前提としてあり)、人間が欲望から解放されて(あるいは自己を中心にしたセルフイメージを追求する空しさと不毛から解放されて)、神様の創造目的である愛に生きるために、キリストの生涯が模範として示されます。それが先生が学校の教師として、また牧師として関わって来た様々な生活の現実に即して、きわめて具体的な現代批判として、またご自身の献身や惠泉塾の証しとして語られるので、キリストを信じて生きるということが、強い説得力と魅力をもって聴衆に迫ります。結論は、奪うだけの欲望に支配された生き方から蝋燭のように自分はちびて周囲を照らす愛へと生き方の方向を変えて、キリストにあって互いに愛し合って生きる共同体に加わろうというものです。そして、そのメッセージの背後には、この時代にそのように生きようと生活実践している信仰共同体があります。」

自己実現とは人間の欲望であり、私はずっとセルフイメージが低い為ににそれに憂えたり、セルフイメージを高める為に何かを行っていましたが、結局いつまで経っても、そこから解放される事はありませんでした。その事を空しさと不毛と言っていますがまさにその通りでした。
クリスチャンは欲望である自己実現やセルフイメージを追及する空しさと不毛から解放され、神さまの創造の目的である「愛に生きる」人生に変えられるのだとあらためて気付かされました。