ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

秩序と権威とその価値☆

エホバの証人の方と対話していると、
「父は私よりも偉大です」(ヨハネ14:28)
とか
「なぜ、わたしを『尊い』と言うのですか、尊い方は、神おひとりのほかにはだれもありません」(ルカ18:19)
とか、御子は父に遣わされたのだから、父の方が偉い。だから神は父なる神お一人であって、キリストは神ではないというような話になってしまいます。
これについてうまく説明できないでいたのですが、
『地の果てまで福音を』というブログで「なぜかぶり物? 理由その1創造の秩序の記事の中に参考になる文章があったので抜粋して載せさせて頂きます。」

神は男性と女性を、その価値や重要性において同等につくられました。
私たちはお互いを必要としており、また、聖書が言うように「主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。」(Ⅰコリント11:11

しかし、私たちが平等であるからといって、同じ役割、権威もしくは機能をもっているわけではありません。

こういった相違は、被造物や、御使いたち、もしくは神ご自身のうちにおいても見られます。

三位一体の教えというのは、唯一の神がおられ、その神は三つの異なったペルソナ(位格⇒人格)において啓示されています。その三位格とは、御父、御子、聖霊です。

この三位格は、完全に神であり、完全に同等ですが、機能、権威、位格においては異なっています。

「しかし、あなたがたに次のことを知っていただきたいのです。すべての男のかしらはキリストであり、女のかしらは男であり、キリストのかしらは神です」(Ⅰコリント11:3)の聖句に、「キリストのかしらは神です。」とあります。

「イエスの、御父に対する服従は、受肉時に限られていた」と主張している人々もいますが、そうではありません。

Ⅰコリント15章で、御国の完成のことが言及されていますが、聖書は次のように言っています。

「しかし、万物が御子に従うとき、御子自身も、ご自分に万物を従わせた方に従われます。これは、神が、すべてにおいてすべてとなられるためです(Ⅰコリント15:28)」

エスはその価値において御父に劣ることはありません。

聖霊もまた・・・聖霊の役割は、ご自身について語ることではなく、御子の栄光を現すことでありましたが(ヨハネ16:13)・・・その価値においてイエスに劣ることはありません。

異なる役割というのは、価値の優劣や重要性の大小を意味するわけではありません。この点はいくら強調してもしすぎることがないと言えます。

警察官はあなたに対して、神より与えられし権威がありますか?(ローマ13:1)そうですよね。

では、その警察官は人間としてあなたよりすぐれた価値があるのでしょうか?いいえ!

子ども達は両親に従い(エペソ6:1),奴隷は主人に従い、(エペソ6:5)、
妻は夫に従い(エペソ5:22)、市民は政府に従い(ローマ13:1)、教会は長老たちに従い(ヘブル13:17),イエスは神に従います(Ⅰコリント11:3)

私たちは権威のことを怖がる必要はありません。

ひどい親、残忍な主人、男性優越主義の夫、権力に陶酔した牧師、そして邪悪な政府。。。。こういったものは世の終わりまで存在し続けるでしょう。

しかしこれはあくまで、罪ゆえに生じたものであり、権威自体が悪だからなのではありません。私たちの模範例としては、ですから、三位一体の神を見ていこうではありませんか。