ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

もし いつか

『もし いつか』 浅田 志津子 

もし いつか
母が歩けなくなったら
天気のいい日は 車椅子を押して
あの用水路沿いの小道を
二人でのんびり散歩しよう
水路沿いに咲きみだれる
季節の花を楽しんだり
畑の無人野菜直売所で
採れたてのトマトを買ったり

もし いつか
母が少しぼんやりしだして
もの忘れが ひどくなってきたら
きつい言葉で 追いつめたりせずに
母が自ら 思い出せるようにしよう
メモをとるよう さりげなく勧めたり
「ガス、消した?」と書いた紙を
あちこちの壁に 貼っておいたり

もし いつか
母が私を「おかあさん」と呼んだら
私は うつむいて唇をかんだり
母から 目をそらしたりしない
深呼吸をひとつしてから
「なあに」と普通に笑いかける

居間で針仕事をしながら
とりとめのないおしゃべりをしたり
ぬりえに励むあどけない母の
目にかかる髪をピンでとめたり
散歩に出たまま戻らぬ母を
探してようやく見つけたときは
激しく叱ったその後で
抱きあって 二人でしばらく泣こう

そして夕焼けのなか 手をつないで
歌いながら 家へと帰る
母と 手をつないでさえいれば
よかった頃の 私に帰る

 

浅田 志津子
教育、福祉関係のライターとして、認知症の親と共に生きる人々を取材する中で生まれた一編
「私自身の、老いた母への優しさに欠ける態度を悔い改める思いもこめて書きました」

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私は昨年、介護の勉強をし、8日間有料老人ホームに研修に行った経験があるのですが、そんな私の心の琴線に触れる上記の詩に出会いました。

学校の講師の中に、認知症のお母様を介護した経験を持つ先生がおられました。

当時は「認知症」や「介護」の情報がなく、お母様の徘徊のために近所を探し回り、子育ての時期とも重なっていたので先生の重圧はものすごいもので、市役所に相談する窓口があると知り藁をもすがる気持ちで訪問し、現状を吐露すると涙が止まらなかったと言っていました。

先生はお母様を見送った後、介護の勉強をして、母親にしてあげれなかった事を他の方々にしてあげたいと訪問介護や老人福祉施設で働いていました。先生の現場での体験談を聴くのがとても為になりました。
私もいつか資格を活かすと共に、自分の母を介護する時が来ると思います。

その時には、この詩の著書のような気持ちで接したいと思います。
最後の節の「母と手をつないでさえいればよかった頃の 私に帰る」・・・

母に守られていた幼い頃を思い出します。 

↓絵はご主人の作品のようです。

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