カインのように
15才からずっと、カインのように地上を彷徨い歩くさすらい人だった。
創世記4章
:13 カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
:14 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
彷徨い続けながら、
「私はこんなひどい事をしたのです。」
「私は生まれつき悪なんです。」
「表面的ではなく、私の内面をよく見てください。汚く、ひどい人間ですから。」
と叫び続けていた。
カインと違ったのは、
:16 カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
カインは主の前を去ってしまったけれど、
私はどうしたら「聖くなれるのか」を求めて地上を彷徨い歩き続けていた。
そして20年後にイエス・キリストに出会った。
その方は私の中にある、おぞましい「罪」を全部背負って十字架にかかって下さった。
そしてキリストの十字架が私の罪の為だったと信じるなら、全ての罪が赦され、イエスキリストに似た者に変えられる「聖化」の道を歩む事ができる。
最近、分かった事は、
キリストは私を少しずつ良くして行くのではなく、
私の「古い人」をキリストと共に十字架につけて殺してくださったこと。
そして今は、復活されたキリストの内にいること。
自分では聖くなることはできないけれど、聖霊に導かれるなら御霊の実(愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制)を結ぶことができる。
もう死んでしまった自分に振り回されずに、
復活された主のいのちを持って、これからは自分のためではなく、隣人のために生きていく人生を送っていきたい。