ナルドの香油

誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。(エレミヤ9:24)

キリストとその福音を退けたから裁かれる(地獄に行く)のか

 
尾山令仁先生の「死後のことについて本当のことを知りたい」を購入後、パラパラと中を見た時に目に留まったのが「福音を聞かずに死んだ人」という章でした。
 
「福音を聞かないで死んで行った人は、天国へ行くことができるのか、それとも地獄へ行ってしまうのか・・・」という疑問は、いつの時代でも多くの人達から聞かれる疑問です。
ここでよく考えてみなければならないことがあると著者は言います。
 
「人が天国へ行くか、それとも地獄へ行くかを決定するのものは、はたして福音を聞いたかどうかということなのでしょうか。また、私たちが地獄へ行くには、福音を聞いてこれを退けるという行動を取ることが必要なのでしょうか。
 
聖書の教えによりますと、私たちが地獄へ行き、そこで裁かれるのは、私たちが罪人であるからだと言うのです。
福音に接したかどうかということとは、全然関係がありません。
生まれながらにして持っている私たち自身の罪のために、私たちはだれでも皆、地獄へ行かなければならないのです。
 
それでは逆に、私たちが天国に行けるのは、どういうことによるのでしょうか。
それは、私たちの功績によるのではなく、神の恵みにより、イエス・キリストが十字架上で成し遂げてくださったあがないの御業を私のためとして受け入れるなら、当然、地獄へ行って裁かれなければならない運命にある罪人が救われ、天国へ入れていただくことができるのです。
 
つまり、私たちが福音を聞いて、それを受け入れることができたのは、神の恵みであって、決して私たちがそれをした行為なのではありません。
そうであるとすれば、福音を聞いて、それを積極的に退けるという行為をしたかどうかということが、地獄へ行くかどうかを決定するのではないことが分かります。私たちが地獄へ行くのは、生まれながら罪人だからなのであり、私たちが天国へ行けるのは、神の恵みの救いに入れていただいたからにほかなりません。」
 
上記を読んで今更ながら目から鱗でした。
伝道の際に、キリストを信じないと地獄に行くんだよというアプローチをしていたかもしれません。でもそれは誤った導き方でした。
福音を聞かずに死んで行った人は、福音を聞かなかったから地獄に行くのではなく、罪人だからなのですね。分かっていたけれど、いつしかすり替わっていた気がします。
 
そして先に救われた者には福音を聞かずに死んだ人に対して責任があるそうです。
(エゼキエル3:17-18)
『わたしはあなたをイスラエルの民に警告を与える者として立てた。あなたは、わたしの言葉を聴いたなら、わたしに代わって彼らに警告を与えなさい。わたしが罪を犯した者に、『あなたは必ず死ぬ』と言っても、あなたが彼に警告を与えず、罪を犯した者にその道から離れて、救われるようにと語らないなら、その罪を犯した者は、自分の罪のために死ぬ。しかし、わたしは彼の死の責任をあなたにも問う。』
 
「福音を聞かずに死んでいく人たちが地獄へ行って裁かれるのは、その人自身の罪のせいです。それは、決して福音を聞かなかったから信じるチャンスがなかったなどという言い訳のできることではありません。しかし、その人が救われるためには、確かに福音を信じなければなりません。そして福音を宣べ伝えるのは、ほかでもなく、福音を知っている人、つまりクリスチャンであるはずです。その罪を犯した人が地獄へ行って、裁かれなければならないのは、その人自身が持っている罪のためであって、ほかのだれかのせいではありません。しかし、その人が滅びるようになった間接的責任は、福音を宣べ伝えなかった人にあるのです。そこで主は、その滅んで行った人の死の責任を要求すると仰せられるわけです。
ですから、私たちは福音を宣べ伝えなければなりません。福音を宣べ伝えなければ間接的な殺人を行っていることになるのです。」