イエスは主の「主」って?

 
 
 救われてすぐは、イエスさまの事を「主よ」と祈りながら、
なんで「主」と呼ぶのか良く分からなかった。
 
でもエホバの証人の方達と話したり、自分で聖書の事を調べたりしているうちに
 
「主」という言葉の中に含まれている大切な意味をより理解できるようになった。
 
 
 
紀元前333年、アレキサンダー大王が中東を征服した際に、そこに住む人達にギリシャ文化と言語を強要したそうです。
 
紀元前280年~紀元前130年の間、ギリシャ語を話すユダヤ教の学者は旧約聖書ギリシャ語に翻訳しました。これがセプトゥアギンタ(七十人訳)というものです。
新約聖書はこのセプトゥアギンタ(七十人訳)から引用されています。
 
旧約聖書ギリシャ語に翻訳された時期に、ユダヤ人達はYHVH(テトラグラマトン,
神の御名を表す4文字語)の御名を語るのをやめました。YHVHの代わりに「アドナイ」(ヘブル語)という言葉が使われ始め、それは「主」の複数形だそうです。セプトゥアギンタ(七十人訳)では、YHVHの御名は「キュリオス」(ギリシャ語)と翻訳され、それもまた「主」という意味です。
 
エスさまのいた時代には、YHVHは使われなくなり、アドナイとキュリオスのみ使われました。セプトゥアギンタ(七十人訳)と新約聖書でのYHVHの箇所は全てキュリオスと翻訳され、キュリオスはアドナイとYHVHを意味するのです
 
驚く事に、新約聖書ではエスはキュリオス(主)としています。
 
 
「なぜなら、もしあなたの口でエスを主(キュリオス)と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)
 
 
これは主と呼ぶ以上のもので、エス=キュリオス、アドナイなのです。
 
エスであると宣言するという事なのです!!
 
当時、父なる神だけを信じていた一神教だったユダヤ人達がイエスを主であると告白することが、どんなにすごい事であり、ユダヤ教の人達から迫害された所以がよく分かります・・・。
 
 
続く、「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。」(ローマ10:13)
 
の「主の名」とは、もちろん「イエスの御名」の事で
    イエスの名を呼び求める者はだれでも救われるのです。
 
なぜなら
 
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)
 
だからです。
 
ところが、エホバの証人の新世界訳聖書では
 
エホバの名を呼び求める者はみな救われるのです」(ローマ10:13)とギリシャ語原文ではキュリオスになっている所をエホバに変えてしまっています。これは改ざんであり、文脈を無視し、イエス・キリストの神性を削ぐ意図があります。(全部で237箇所をエホバに変えています。)
 
聖書をよく読めば、信じた人達が誰の名を呼び、宣べ伝え、あがめているかが分かります。
 
「コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちのイエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々とともに~」(Ⅰコリント1:2)
 
「また彼(サウロ)がダマスコでエスの御名を大胆に宣べた」(使徒9:27)
 
「このことがエペソに住むユダヤ人とギリシャ人の全部に知れ渡ったので、みな恐れを感じて、主イエスの御名をあがめるようになった。」(使徒19:17)
 
「しかし主はこう言われた。『行きなさい。あの人は私の名を異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。』」(使徒9:15)
 
他にも使徒21:13ではパウロが「主イエスの御名のためなら、エルサレムに縛られることばかりでなく、死ぬことさえも覚悟しています。」と答えており、
 
使徒15:26でも「このバルナバパウロは、私たちのイエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。」とも書いてあります。
 
このように、使徒達はエホバの御名ではなく、であるエスの御名を命がけで宣べ伝え,あがめていたのです。