イエスは主の「主」って?
救われてすぐは、イエスさまの事を「主よ」と祈りながら、
なんで「主」と呼ぶのか良く分からなかった。
でもエホバの証人の方達と話したり、自分で聖書の事を調べたりしているうちに
「主」という言葉の中に含まれている大切な意味をより理解できるようになった。
神の御名を表す4文字語)の御名を語るのをやめました。YHVHの代わりに「アドナイ」(ヘブル語)という言葉が使われ始め、それは「主」の複数形だそうです。セプトゥアギンタ(七十人訳)では、YHVHの御名は「キュリオス」(ギリシャ語)と翻訳され、それもまた「主」という意味です。
イエスさまのいた時代には、YHVHは使われなくなり、アドナイとキュリオスのみ使われました。セプトゥアギンタ(七十人訳)と新約聖書でのYHVHの箇所は全てキュリオスと翻訳され、キュリオスはアドナイとYHVHを意味するのです。
これは主と呼ぶ以上のもので、イエス=キュリオス、アドナイなのです。
イエスが神であると宣言するという事なのです!!
続く、「主の名を呼び求める者はだれでも救われるのです。」(ローマ10:13)
の「主の名」とは、もちろん「イエスの御名」の事で
イエスの名を呼び求める者はだれでも救われるのです。
なぜなら
「この方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)
だからです。
ところが、エホバの証人の新世界訳聖書では
「エホバの名を呼び求める者はみな救われるのです」(ローマ10:13)とギリシャ語原文ではキュリオスになっている所をエホバに変えてしまっています。これは改ざんであり、文脈を無視し、イエス・キリストの神性を削ぐ意図があります。(全部で237箇所をエホバに変えています。)
聖書をよく読めば、信じた人達が誰の名を呼び、宣べ伝え、あがめているかが分かります。
「コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているすべての人々とともに~」(Ⅰコリント1:2)
「また彼(サウロ)がダマスコでイエスの御名を大胆に宣べた」(使徒9:27)
「しかし主はこう言われた。『行きなさい。あの人は私の名を異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。』」(使徒9:15)
このように、使徒達はエホバの御名ではなく、神であるイエスの御名を命がけで宣べ伝え,あがめていたのです。