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アビガイルに学ぶ②

 
 
アビガイルはナバルと夫婦でありながら、精神的にはナバルと異なる次元に生きていました。
ナバルの妻でありながらアビガイルはナバルに染まらずにあのような人物になったのです。
 
第一サムエル記25章26節を見ると、アビガイルはダビデがまだ復讐心に燃えていた時に、すでに主が復讐を止めさせて下さったという確信を持ちました。
しかもそのことをダビデに対して断言したのです。
 
30節では、「主があなたをイエスラエルの君主に任じたられた時・・・」と言っています。
アビガイルはダビデがやがて王になることを確信していました。
 
この時、ダビデはサウル王から追われる身、王になることなど考えられない状況にあったのです。サムエルから受けた油注ぎが遠い昔のように思えたことでしょう。
 
31節では「むだに血を流したり、ご主人さま自身で復讐されたりしたことが、あなたのつまずきとなり、ご主人さまの心の妨げとなりませんように・・・」と言っています。
 
アビガイルはむだに血を流すことや、復讐することがダビデのつまずきになり、心の妨げとなることを知っていました。
 
しかもこのことがダビデにとって、ある意味で王になる以上に重要だということをも知っていたのです。
これがアビガイルの霊的生活を示唆する非常に重要な箇所です。
 
その結果32-34節で、ダビデは主がアビガイルを送って下さったことに気付きます。
そして主がダビデをとどめたことに気付きます。
アビガイルは復讐心に燃えていたダビデの心を主に向けさせました。
 
アビガイルがナバルと結婚していなければ、これほど主を求め、これほどまでに主と親しくはならなかったでしょう。
 
若者たちの言葉やナバルの暴言から判断すると、アビガイルがナバルと話す時には、
言葉を選ばなければ怒鳴られたり、暴力をふるわれたりしたことと思われます。
そのような関係では、「神さまが導かれることだけを語る」ことが求められます。
 
聖霊バプテスマを受けると、聖霊が語らせるままを語ることの恵みを味わいます。
祈りにしても自分の思いをぶつける祈りから、聖霊が祈らせるままを祈る祈りに変わります。
神であられる聖霊さまは御言葉と一致した祈りを導いて下さいます。
私たちがこのような祈りを経験すると、神さまの心を祈らせて頂いていることに気付くようになります。
その時、神さまの願いと私たちの願いが一つになるのです。
 
ですから主がすでにダビデの復讐を止めたことと、ダビデが必ずイスラエルの王となることを、アビガイルが祈りのうちに確信していたのは当然のことだったと言えます。
 
復讐心に関して言えば、アビガイルも私たちと同じ人間でしたから、結婚当初はやられたらやり返す衝動に駆られ、ナバルを赦せないという思いに駆られたことでしょう。
 
ところがそのことが実は、自分と神さまとの関係を妨げるということを、アビガイルは味わい知ったのです。
だからこそ、ダビデに対してあのような強い進言をすることができたのです。
 
神さまとの交わりが深ければ深いほど、その交わりを失いたくないものです。
その交わりを損なうものは全て排除したくなるのです。
 
アビガイルは主との麗しい交わりを体験していました。
しかもアビガイルはダビデが同じ経験をしていることを知っていたのです。
 
一方、アビガイルの言葉を聞いたダビデは、主ご自身がアビガイルを通して語っておられることを認めざるを得ませんでした。
へりくだって、主の安息のうちに冷静に、神さまが語らせるままに語っているアビガイルの言葉はダビデの心を捉え、主に向けさせました。
 
そしてダビデは復讐心を治めることができたのです。
もしここでダビデが復讐心を克服していなかったら、王になっていなかったかもしれません。
 
一人の信仰深い女が、逆境の中で主との麗しい関係を築き、ダビデを王としたのです。
アビガイルは逆境によって主に逃げ込むことを学びました。
 
鼻から息する人間を頼りとせず、主に望みを置くことによってのみ得ることのできる柔和で穏やかな霊を飾りとしていたのです。
 
だから彼女にとっては目に見えるナバルよりも、目に見えないお方の方がリアルでした。そしてナバルの支配下にあっても、彼女の人生は主に支配されている確信を得たのです。
 
愛する日本の女性のみなさん、私たちの人生は夫や環境など、目に見えるものによって決まるのではありません。
すべて神さま次第です。
神さまに私たちがどう応答するかで人生が決まります。
 
このお方を見上げ、
逆境の中で主を知り、
逆境の中で輝く女性になりましょう。
 
テル子・ジュデイ・ミドルトン