ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

銀河鉄道の夜 イエス・キリスト

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一昨日は両親が遊びに来ました。

父は地方のコンサートホールの企画に携わっていますが、先日、名取裕子さんによる宮沢賢治銀河鉄道の夜」の朗読を開催したようです。

私は「銀河鉄道の夜」は読んだ事がないのですが、父から内容を少し聞いたところによると、主人公のジョバンニをいじめていたザネリが川に落ちたのを、カンパネルラは救い、自らいのちを落としてしまうのですね。イエス・キリストが全人類の身代わりに十字架に架かって死んで下さった事を表している作品のように思いました。

この作品の中には「ハレルヤ コーラス」や「賛美歌320番(主よ みもとにちかづかん、英: "Nearer, My God, to Thee")」交響曲「新世界」など有名な曲名も書かれています。

朗読後には宮沢香帆さんという方がバイオリンで「星めぐりの歌」(宮沢賢治作詞作曲)をお母さんのピアノ伴奏と共に演奏して下さったそうです。

宮沢香帆さんのお父さん、宮澤和樹さんは「宮沢賢治記念館」の館長で、お祖父さんが宮沢賢治の弟です。香帆さんが使用したバイオリンは120年前に宮沢賢治が使用していた楽器だそうです。

クリスチャン界では有名かもしれませんが、宮沢賢治が書いた「雨にもまけず」のモデルは斉藤宗次朗さんというクリスチャンなので、両親にこちらの記事をコピーして読んでもらいました。 

雨にもまけず  宮沢 賢治

雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい 

以下、雨にも負けず ( その他文学 ) - Cafe Grace - Yahoo!ブログ

から転載させて頂きます。  

実は、この詩には、モデルがいたそうです。  それは、斉藤宗次朗という人です。  以下、許可をいただき「ベテスダ柏」のホームページ(http://plaza.rakuten.co.jp/bethesda/5006)からの転載です。 ***********

 彼は岩手県の花巻で、禅宗の寺の三男として生まれました。  15歳の時に、母の甥にあたる人の養子となります。成長した彼は小学校の先生となり、ふとしたきっかけで聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンとなりました。  しかし、当時はキリスト教がまだ「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていた時代で、彼が洗礼を受けたその日から彼に対する迫害が強くなり、親からは勘当されてしまいます。  町を歩いていても、「ヤソ,ヤソ!」と嘲られ、何度も石を投げつけられます。  それでも彼は神を信じた喜びに溢れて、信仰を貫いていきました。  しかし、いわれのない中傷が相次いで、遂に彼は小学校の教師を辞めなければならない羽目になりました。それだけではありません。  迫害は家族にまで及んできます。  長女の愛ちゃんはある日、ヤソの子供と言われて腹を蹴られ、腹膜炎を起こして、何日かの後にわずか9歳という若さで亡くなります。  教師の職を追われた彼は、新聞配達をしながら生計を立て、毎朝3時に起き、夜9時まで働くという厳しい生活を20年間続けてゆきます。  彼は朝の仕事が終わる頃、雪が積もると小学校への通路の雪かきをして道をつくります。  小さい子供を見ると、だっこして校門まで走ります。  彼は風の日も、雨の日も、雪の日も、休む事なく、地域の人々の為に働き続けます。  自分の子供を蹴って死なせた子供達の為に・・。  新聞配達の帰りには、病人を見舞い、励まし、慰めます。  やがて、彼は住みなれた故郷・花巻を離れ、東京に移り住む日がやって来ました。  花巻の地を離れるその日、「誰も見送りに来てくれる者はいないだろう」と思って、駅に行ったところ、そこには、町長をはじめ、町の権力者たち、学校の教師、神社の神主、お寺の僧侶、そのほか町中の人達が、たくさん見送りに来てくれていたのです。  それは彼が日頃からしていた事を皆は見ていたのです。   その中の一人に宮沢賢治がいました。宮沢賢治法華経日蓮宗の信者でした。斉藤宗次朗が東京駅に着いて最初に手紙をもらったのが、宮沢賢治でした。  その5年後に、宮沢賢治が有名な「雨にも負けず、風にも負けず」といいう詩を作ったのです。 とすると、斉藤宗次朗さんという人が気になります。まるでキリストのような人だったのでしょう。

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「賛美歌320番(主よ みもとにちかづかん、英: "Nearer, My God, to Thee")」

星めぐりの歌

 

あかいめだまのさそり

ひろげた鷲のつばさ

あをいめだまの小いぬ、

ひかりのへびのとぐろ。

オリオンは高くうたひ

つゆとしもとをおとす、

アンドロメダのくもは

さかなのくちのかたち。

大ぐまのあしをきたに

五つのばしたところ。

小熊のひたいのうへは

そらのめぐりのめあて。