ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

ヘブライ的解釈は絶対必要?

思いがけず、以下のような理念を取り入れている団体の「マタイによる福音書」のメッセージを家庭集会のメンバーで定期的に聞き、感想を述べ合うという機会を持っています。

キリスト教ユダヤ的ルーツを持つ宗教であるゆえ、聖書研究におけるユダヤ的解釈が重要視される。著者の意図を汲み取るためには、その書が書かれた時代背景や文化的背景を知る必要がある。異邦人が自分に引きつけて聖書を読んでも、正確な意味は伝わってこない。私達は、ユダヤ的解釈と並行して、字義通りの解釈も強調している(両者には相関関係がある)字義通りの解釈とは、散文は散文として、韻文は韻文として解釈するということである。著者が比喩的表現を採用しているなら、その部分は比喩として解釈するが、本来比喩的表現でないものまで、象徴的、比喩的に解釈し、結果的に著者の意図とは異なった結論を導きだすようなことはしない。

まだ2回しか聞いていませんが、聞いていてとても違和感を感じる事があります。

上記の説明文に「結果的に著者の意図とは異なった結論を導きだすようなことはしない。」とありますが、「著者の意図」?

聖書の著者は「聖霊」なのではないでしょうか。

この団体を導く方は、メッセージの中でも、やたら「マタイが○○○○と言っている」「マタイが・・・」という表現が多いのが気になります。

上記の理念の他に理念の冒頭には 

私達は「聖書は、誤りなき神のことばである」「聖書の原典は、霊感を受けて書かれており、なんの誤りも含まない」と信じる 

と書かれてはいますが、マタイの福音書は「マタイが○○○○」と言っているところに、矛盾を感じてしまいます。

私は共観福音書ヨハネ福音書を読んでいて、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネが表に出てくることはなく、あくまで聖霊によって書かれている神の言葉だとしか捉えた事はありませんでした。

聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。(Ⅱテモテ3:15) 

「すべて」神の霊感を受けて書かれているので、人間が小説を書くように、マタイの「思い」とか「考え」は入っていないと思います。

パウロは厳密に「主が語られている事」と「自分の考え」を分けて書いている箇所があります。 

次に、すでに結婚した人々に銘じます。命じるのは、私ではなく主です。妻は夫と別れてはいけません。(Ⅰコリント7:10) 

次に、そのほかの人々に言いますが、これを言うのは主ではなく、私です。信者の男子に信者でない妻があり、その妻がいっしょにいることを承知しているばあいは、離婚してはいけません。(Ⅰコリント7:12) 

メンバーの感想の中には、「マタイとルカが苦心して残した記事を、私達は余すことなく受け取らなければと思いました。」とあって、聖書は神の摂理、神の目的があって書かれたという部分が欠落しているようにも感じてしまいました。

執筆者が表に出てくることで、ユダヤ人に対する選民性・優位性が強調される結果にも結び付いていくような気がします。

この団体のメッセージではなく、

私が普段メッセージを聴いたり、読んだりする時に

エマオの途上で二人の弟子達が体験した 

「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」(ルカ24:32) 

このような状況になるのは、私の内におられる、「御子について証し」をし、「御子に栄光を帰する」聖霊が、メッセージがその趣旨に沿っている時に、聞く者、読む者の心に働きかけて下さるのだと分かりました。 

わたしが父のもとから遣わす助け主、すなわち父から出る真理の御霊が来るとき、その御霊がわたしについてあかしします。(ヨハネ15:26) 

御霊はわたしの栄光を現わします。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。(ヨハネ16:14)

逆にメッセージする側は解釈法やプロセスも重要だけれども、「聖霊の目的」に沿った時に、それらのツールが意味を持つのだという事も分かりました。

ヘブライ的解釈を特別に引っ張り出して来なくても、普通に祈りの心で読んでいけば、御霊ご自身が光を与えて下さるのです。 

 塚本訳1963 Ⅰヨハネ2章

:26 わたしはあなた達を迷わす者たちについて、これらのことを書いたのである。

:27 しかしあなた達は、キリストから戴いた油(すなわち聖霊)が留っているのだから、だれからも教えてもらう必要はない。彼の油が万事についてあなた達に教え るように、またそれはまことであって、嘘ではない。そしてその油があなた達に教えたとおり、(つねに)キリストに留っておれ。  

Ⅱテモテ3章

:15また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。 聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。

:16 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。