ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

人との比較による自己義

Yさんが主宰されている未信者の方を対象とした「聖書の会」に2年前から参加しています。去年までローマ書を1章ずつみんなで読んで来ましたが、未信者の方が月に一度聖書を読むだけでは信仰に結びつくのは難しいと感じています。

Yさんが「求道者伝道テキスト」というものを使用してみようと思い立たれて、今はそのテキストを元に行っています。

先月は「悔い改めて謙遜になりなさい」という学課で、創世記のアダムとイブの箇所から「原罪」についてと、「神の怒りと裁き」について、キリストの十字架による人類の罪の赦し「福音」についての箇所を読みました。その中に 

「あなたは自分が正しい人間だと思いますか。それとも罪深い人間だと思いますか。このことをあいまいにして先に進まないでください。どうか今までの人生を振り返って考えてみてください。」 

と書かれていたので、一人一人立ち止まって、この事についてシェアする事になりました。

Yさんが一番最初に私を指名したので、私自身は罪責感に苦しんでイエスさまに出会ったので、自分が罪深い人間であるゆえに信仰に導かれたと救いの証しを交えて話しました。そしてその後、次の事が思い浮かび伝える事にしました。

罪深さは「人との比較」ではなく、「聖い神との比較」であるという事です。

私の次に感想を述べられた方は、「確かに『自分はあの人よりはまし』と思って、人との比較によって自分はそんなに悪い人間ではないと思ってしまう」と話されていました。

今日こちらの記事を見つけて、明日の「聖書の会」で皆さんにお伝え出来たらいいなと思っています。 

 何度も読んで来た「取税人とパリサイ人」の箇所。パリサイ人の自己義と高慢には目が行っていましたが

違う言い方をすれば、「他人と自分を比較して、自分の方が正しいと思い、それに満足している者」と、「絶対的義の神の前に一人立つことを畏れている者」との違いだろう。

「他人と自分を比較して自分の方が正しいと思い、それに満足している者」という言葉があらためて新鮮に心に届きました。パリサイ人が「神よ、わたしは『ほかの人たち』のような・・・」と言っている言葉に光が当たったのです。

そして取税人が「絶対的義の神の前に一人立つことを畏れている者」という認識も私は薄かったかもしれません。 

それと、私は皆さんに「聖い神との比較」と漠然と話してしまいましたが、その神がどのような方なのかも具体的に聖書から挙げて下さっているのも素晴らしいと思います。 

「光であり、すこしの暗いところもない方」(Ⅰヨハネ1:5)

「全てのことを見ておられる方」(へブル4:13)

「生きている者と死んだ者とをさばくべき方」(Ⅱテモテ4:1)

「からだも魂も地獄で滅ぼす力のある方」(マタイ10:28)

「焼き尽くす火である方」(へブル12:29)

そして何より

「慈愛とあわれみとに富んだ方」(ヤコブ5:11)

「御子を信じる罪びとを義とする方」(ローマ3:23-24;4:5)

であると信じるならば、いくら姦淫を犯さず、週に二度、三度断食をしようが、全収入を献金として捧げようが、主の前に立つときは取税人と同じように「神様、罪人のわたしをおゆるしください」と心から叫ぶしかないはずである。

皆さんがこの最後の境地まで導かれますように。

この事を思い巡らしていたら、三浦綾子さんの書かれた絵本「したきりすずめのクリスマス」も思い出されました。すずめの舌を切ったおばあさんは、すずめのお宿で欲張って大きなつづらを貰って帰りますが、その中にはお化けが入っていました。おばあさんが「助けて~」と叫んでいると、イエスさまが現れて、あれは、お化けではなく、おばあさんの心の姿だと言うのです。

3つ目小僧は欲深い心の姿(目は2つで良いのに3つもある)

口裂け女は、いじわるの姿

焼き餅はやきもちの心の姿

おばあさんは自分の罪を認め「何とみにくい私でしょう。何とおそろしい私でしょ。」と悔い改めに導かれ、人の罪を、代わって背負って救ってあげるのが仕事だと言うイエスさまがおばあさんの罪も「背負ってあげますとも」と言い「罪を悔い改めた人は みんな救われるのです。」ともおっしゃて下さいました。

一方、小さなつづらを選んだおじいさん。

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 おじいさんは、イエスさまに、おばあさんのように欲深くもなく、いじわるでもない事を感謝し、人殺しのような者でないことを感謝します。「何一つ罪を犯さず、正しく生きてきたので、イエスさまに重い荷物を負わせずにすみます。」と言います。そんなおじいさんに、イエスさまは、かなしそうに言います。

「そうですか、おじいさん。しかし、世界中に全く正しい者は、ただの一人もおりません。」けれど、おじいさんは、「ここに私がいるではないか」と自信を持って言います。ところが「これがあなたの本当の姿です。

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傲慢の姿です。私は、あなたの言葉を聞いてかなしく思います。自分には罪がないと思っているほど大きな罪はないのですよ。これは神様の一番嫌いな、重い罪ですよ。むしろ、おばあさんよりも罪が深いと言えるでしょう。」「自分の罪が分からねば、悔い改めることができません。罪はそのまま残るのです。」とイエスさまに言われ、おじいさんは目が覚めてイエスさまに赦しを乞うのです。

おじいさんも「人との比較」によって、自分の正しさを量っていたのでした。

この絵本も紹介できたらいいなと思っています。