ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

分け登る麓の道は多いけれど、同じ高嶺の月を見るかな(追記あり)

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分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな

一休禅師の作と伝えられる道歌。宗教の入り口はいろいろ違っていても、最終的に到達するところは同じであるということを説いている。

けれど今日、詩篇を読んでいたら次の聖句を見つけました。 

詩篇24篇

:3 だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。

:4 手がきよく、心がきよらかな者、そのたましいをむなしいことに向けず、欺き誓わなかった人。

:5 その人は主から祝福を受け、その救いの神から義を受ける。

:6 これこそ、神を求める者の一族、あなたの御顔を慕い求める人々、ヤコブである。セラ 

「だれが、その聖なる所に立ちえようか」と聖書は言っています。

モーセ十戒を授かる為に登ったシナイ山、主なる神はシナイ山に降りて来られましたが、人間も獣も登ることも、その境界線に触れることもしないように命じられていました。何故なら罪ある人間は聖い神に触れたらな即、死んでしまうからです。 

出エジプト記19章

:10 主はモーセに仰せられた。「あなたは民のところに行き、きょうとあす、彼らを聖別し、自分たちの着物を洗わせよ。

:11 彼らは三日目のために用意をせよ。三日目には、主が民全体の目の前で、シナイ山に降りて来られるからである。

:12 あなたは民のために、周囲に境を設けて言え。山に登ったり、その境界に触れたりしないように注意しなさい。山に触れる者は、だれでも必ず殺されなければならない。

:13 それに手を触れてはならない。触れる者は必ず石で打ち殺されるか、刺し殺される。獣でも、人でも、生かしておいてはならない。しかし雄羊の角が長く鳴り響くとき、彼らは山に登って来なければならない。」  

ヘブル12章

:18 あなたがたは、手でさわれる山、燃える火、黒雲、暗やみ、あらし、

:19 ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません。このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです。

:20 彼らは、「たとい、獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない。」というその命令に耐えることができなかったのです。

:21 また、その光景があまり恐ろしかったので、モーセは、「私は恐れて、震える。」と言いました。 

一休禅師が言うように、どの麓の道を登っても高嶺の月(神)に会えるという悠長なものではないのです。

神は「愛」のお方であると同時に、罪を見過ごす事は出来ない「義」なるお方だからです。「罪」に対しては「怒り」を発するのです。

全ての人は罪びとで、行ないによって神の律法を守る事が出来る人は一人もいません。そして罪ある人間は、誰もその罪を償う事ができない為、神は罪のないひとり子の神、イエス・キリストを人間としてこの地上に送って下さり、キリストは「全ての人」の罪を負って十字架にかかって死んで下さったのです。それは本来私たち自身が受ける「裁きと呪い、怒り」を全て身に受けてくださるためでした。

こうして神、御自身が「義なるお方」である事を現されたのです。 

ローマ3章

:23 すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、

:24 ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。

:25 神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。

:26 それは、今の時にご自身の義を現わすためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。 

イエス・キリストは3日目によみがえられましたが、キリストの十字架は私の罪のためであったこと、父なる神はキリストをよみがえらせたと信じるなら、その「信仰」によって私たちを罪のない者、「義」として下さり、もう裁きにあう事はなく、神の子として、生ける神との交わりが回復するのです。 

:3 だれが、主の山に登りえようか。だれが、その聖なる所に立ちえようか。 

ローマ5章

:8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。

:9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。

:10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。

:11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。 

御子の尊い犠牲によって、義とされ、神と和解した私たちはシオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。 

ヘブル12章

:22 しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。

:23 また、天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊、

12:24 さらに、新しい契約の仲介者イエス、それに、アベルの血よりもすぐれたことを語る注ぎかけの血に近づいています。