ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

It is well with my soul

家事をする時にいつも賛美歌を流しているのですが、今日この曲を聴いて今一番のお気に入りの曲になりました。(曲は2分45秒から)

worshipしか知らない私は讃美歌に疎く、この曲と曲が作られた背景はとても有名だとネットで検索していて知りました。

自分は作詞したホレイショ G.スパフォードのような境遇に至った時に「It is well, it is well with my soul」と言えるだろうかと思ってしまいます。けれどキリストがわたしの罪と魂の為に十字架にかかり血を流して下さった事実と全ての罪が赦され、御子のいのちを持ち、その交わりに与っている事、人知を超えたキリストの愛を実体験として知っている時(それが聖霊バプテスマを表すなら私は未だ受けていないが。。。)「It is well, it is well with my soul」と言えると思う。そして 

あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。私たちのいのちであるキリストが現れると、そのときあなたがたも、キリストとともに、栄光のうちに顕れます。(コロサイ3:3-4) 

実は私たちはすでに死んでおり、私たちのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されている!そしてキリストの十字架と復活によって、私たちも復活し、天の故郷に行くことができる。

そしてヨブの結末が子どもを失ってしまった方の心に慰めを与えてくれると思う。

ヨブの結末 - ナルドの香油

 

日本語では讃美歌520番(静けき河の岸辺を)、聖歌476番(安けさは川のごとく)になるようです。

youtu.be 

"It Is Well With My Soul"

When peace like a river attendeth my way
When sorrows like sea billows roll
What ever my lot you have taught me to say
It is well, it is well with my soul

Though the devil will ruin, though trials may come
Let this blessed assurance control
That Christ has regarded my helpless estate
And He shed His own blood for my soul

It is well, with my soul
It is well, it is well with my soul

My sin, oh the bliss of this glorious thought
My sin not in part but the whole
Is nailed to the cross and I bear it no more
Praise the Lord, praise the Lord, oh my soul

It is well, with my soul
It is well, it is well with my soul

It is well with my soul
It is well, it is well with my soul

And Lord haste the day when my faith shall be sight
And the clouds be rolled back as a scroll
The trump shall resound and the Lord shall descend
Even so, it is well with my soul

It is well with my soul
It is well, it is well with my soul

It is well with my soul
It is well, it is well with my soul 

1.平安が川のように心に流れるときも

悲しみが大波のように押し寄せるときにもどんな状況に置かれても、

このように言うことをあなたは教えてくださった

「いたって良好、我が魂はいたって良好」と。

2.サタンが襲って来たり、試練にあっても、

この尊い確かな平安が私を治めるように。

つまり、キリストが私のみじめな様をご覧になり、

私の魂のためにご自身の血を流してくださったというゆるぎない事実が、

私の心を治めるように。

3.我が罪 - 嗚呼、この輝かしい事実がもたらす無上の喜びよ-我が罪は-その一部ではなく、全部の罪が-主の十字架に釘付けられた。 だから私はそれをもはや背負わなくてもよい。 主を賛美せよ。主をほめたたえよ。我が魂よ。

4.今こそは、私にとって生きることはキリストであるように。

死に臨む時も、私には何の痛みもないだろう。

なぜなら、生きている間と同じように、

死の時にもあなたは、あなたの平安を私の魂にささやいてくださるから。
5.しかし、主よ。我々はあなたを、あなたの再臨を待ち望みます。

墓ではなく、天が我々の目指すところです。

天使たちのラッパよ!主の御声よ! 確かな希望。恵みあふれる我が魂の安息は。

(モメ子さん私訳より転載させて頂きました)

http://momekomemo.blogspot.jp/2013/01/it-is-well.html  

 

聖歌476番「やすけさは川のごとく」
作詞:ホレイショ G.スパフォード(1822-1888)
作曲:フィリップ P.ブリス   (1838-1876)

      引照:詩篇46篇1節

 この多くの人々に愛唱される賛美歌は、シカゴに住む長老派の平信徒ホレイショ G.スパフォードによって書かれた。彼は、ニューヨークのノーストロイに1828年10月20日に生まれた。若くしてスパフォードは、シカゴにおいて最も成功した法律業務を営む地位を築いた。しかも、その成功にもかかわらず、彼は常に、キリスト教活動に熱心な関心を持ち続けた。彼は、D.L.ムーディーや、その時代の他の福音的指導者たちと密接で活発な交際を楽しんでいた。彼について、著名な福音音楽家ジョージ ステビンズは、「並みはずれた知性と、上品さと、深い霊性とを持った、聖書の熱心なる探求者」と記した。

 1871年のシカゴ大火の数か月前、スパフォードは、ミシガン湖畔の不動産物件に、莫大な投資をした。そして、彼の資産は、この大災害によって、焼失した。丁度この少し前に、彼は、息子の死を体験していた。スパフォードは、イギリスにおいてもたれるムーディとサンキーの集会に出席し助けるため、また、妻と四人の娘たちの休養をかねて、1873年に、一家のヨーロッパ旅行を計画した。その年の11月、仕事の詰めの段階での思いがけない展開によって、彼はひとりシカゴに残り、妻と四人の娘たちを計画通り、船に乗せて旅立たせた。彼は数日後に後を追うつもりであった。11月22日、その船は、イギリスの貨物船と衝突し、12分後に沈没した。数日後、生存者たちが、ようやくウェールズカーディフに運ばれ、スパフォード夫人は「ひとり助かった」と電報を打った。
間もなく、スパフォードは残された夫人を迎えに船に乗った。「悲しみは波のごとく我が胸満たすとき」とスパフォードが個人的な悲しみをこの詩の中に、非常に意味ありげに書いたのは、彼の四人の娘たちが溺死したと考えられる海域に近づいた時だったと推測される。  

 しかし、スパフォードが、この詩の主題を、人生の悲しみや試練に留めておかず、むしろ、三節ではキリストの贖いの御わざに、4節では栄えあるキリスト再臨の期待へと注意を向けていることは重要です。人間的な言い方をすれば、ホレイショ・スパフォードが経験したような個人的な悲劇と悲しみを体験した人が、なお、「すべてやすし」と得心の行く明瞭さで語ることが出来るということは驚異的なことです。

 彼は晩年に、精神錯乱を経験し、そのため、自分が再臨のキリストであるという妄想を抱いてエルサレムへ行き、1888年、その地で60歳の生涯を閉じた。

 フィリップ P.ブリスはスパフォードの体験とその詩とに非常に感動して、すぐさま、その詩に曲をつけた。それは1876年に出版されたサンキーとブリスによる賛美歌集の一つ福音賛美歌第二巻に最初に発表された。   

http://www.eva.hi-ho.ne.jp/kidakei/476%20It%20is%20Well.txt