狭い門から入りなさい

今朝、ドーナツを頬張り、コーヒーを飲みながら考え事をしていました。

「狭い門から入りなさい」という御言葉が思い浮かびました。

 

最近、「かしら なるイエスキリストに堅く結びつくこと」

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」

など、イエスさまご自身にフォーカスを当てる事が大事だと語られていましたが

 

「狭い門」その「門」自体がイエスキリストその方である事がやっと分かりました。

 

キリストが私の内に聖霊を通して内住して下さっている事は分かっていましたが

私がキリストの内にいることがずっと分かりませんでした。

 

でも今朝、イエスさまという門がはっきりと分かり、その中に入って一体となったような感覚がありました。やっと一緒になれたような感じで泣きながら感謝を捧げました。

 

以前、ミヤサカさんの記事

命に至る狭き門 - an east window

を読んだ時に同じ事を啓示されたように思いましたが、今朝は確かに門の中(キリストの中)に入ったのだとはっきり分かった気がしています。感謝しています。

 

(参考)

A.Bシンプソン キリスト生活   第3章 キリストにある

「聖書に示されている私たちとキリストとの結合には二つの面があります。それらはギリシャ語の前置詞『~にある(in)』によって最もよく表わされています。それは、私たちに祝福の半球を二つ与えます。第一は『キリストにある(in Christ)』であり、第二は「あなたがたの内にあるキリスト(Christ in you)」です。これらは異なる思想ですが、互いに相補的であり、組み合わさって私たちがこれまで語ってきたキリスト生活を構成します。