ナルドの香油

誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。(エレミヤ9:24)

かしら なるキリスト

 
最近、私が思うのは、自分自身を含めてみんな「かしら なるイエスさま」に結びつくことをしないで、何かを求めて彷徨い歩いているということです。
 
「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうせず、自分に都合の良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。(Ⅱテモテ4:3-4)」という御言葉通りの状態です。
 
そういう私もある方が
「個人的には、私はなぜかNTライトが好きで、よく理解できていないくせに好きで、彼が書いたものを読んでいると、胸がいっぱいになって泣けてくるのです。彼の著作は非常に専門的なものから一般向けまで守備範囲が広く、私が読むのは一般向けのものばかりですが、それでも内容はものすごく深くて濃いです。それでいて、読んでいると心が奮い立たされてく るというか、なぜだか感動して泣けてくるのです。」
 
とブログで発信しているのを読んで、私も「さらに深くイエスさまの事を知って胸がいっぱいになって泣けるなら読んでみたい・・・」とNTライトに興味を持って本を2冊も購入してしまいました。
NTライト読書会というFacebookの非公開グループというのもあって参加したのですが
その中で会話されている内容が、私が求めているものと全く違う事が分かりました。
私はこの本を購入した事を今は後悔しています。
 
もう彷徨い歩くのはやめにして、「かしら なるイエスさま」にだけ繋がりたいです。 
「かしらに堅く結びつくことをしません。このかしらがもとになり、からだ全体は、関節と筋によって養われ、結び合わされて、神によって成長させられるのです。」(コロサイ2:19) 
「命に至る道は狭く、それを見出して受け入れる人は少ない。その門は狭く、そこから入る者は少ない」(マタイ7:13-14)
「主は弟子たち(主の教会を代表する者たち)を「小さな群れ」と呼ばれました。御父はこの小さな群れに喜んで王国をお与えになります。(ルカ12:32)」
オースチンスパークスは言っていますが、「小さな群れ」は「かしらなるキリスト」にだけ堅く結びついている人なのでしょう。
聖書と聖霊にのみ集中して信仰生活を歩んでいきたいと思います。