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生まれ変わった人に対する三つの事実☆

生まれ変わりを体験したパウロはローマ7章14節以下で自分の中に三つの事実があることを確認しています。
 
1、私のうちには罪が宿っていること(17,18,20,23,24節)
2、私は善を欲してはいるが、それをなすことができないということ(19,22節)
3、私は悪を行っているが、それは自分がそう望んでしているのではないということ(19節)
 
14∼25節の間には「私」ということばが25回以上も出てきますが、
この私という言葉は未信者を指しているのではなく、信者を指しているのです。
7章は私たちに、信仰に入った人の本当の姿を示しているのです。
 
パウロのように、神さまの望んでおられるとおりに自分の本当の姿を認めた人は幸いです。
生まれ変わった信者は、心から良いことをしたいと望んでいますが、彼にはそれができないのです。
ですから人は、自分の心の中が引き裂かれて、悩むのです。
それは、自分のしたいことが実際にはできないからです。すなわち信者の心の内に住んでおられる御霊の力と、同じく信者の心の内に根付いている罪の力との戦いであるということができるでしょう。
主イエスの望んでおられることは、信者が一切の妥協を排して、ご自身に従ってくることです。しかし、信者にはそれをする力がありません。ですから、信者は、主イエスに従っていこうとすればするほど、失望し、落胆して力を落としてしまうのです。
このようにまじめに努めようとする信者の結果は、7章24節にパウロが言ったように、「私は本当にみじめな人間です。」という叫びとならざるをえないのです。
このように欲しながら実際に行うことのできない人は本当にみじめさを経験します。
 
しかし、その状態にととまり、がっかりしてしまう信者が何と多いことでしょうか。
これらの信者たちは、ただ自分の罪が赦されたということと、神との平和が与えられているということだけが全てであると思い、聖書には喜びや勝利についても書いてあることを知りながらも、実際には自分のみじめさを悩み続けて、7章に書かれているようなみじめな生活を一生続けていくのです。
 
けれども、主イエスは私たち信者をこのようなみじめな生活に導かれるために、私たちを救われたのではなく、私たちを「圧倒的な勝利者」にするために私たちを救ってくださったのです。
 
「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んで下さらないことがありましょう。
 
しかし、私たちは、私たちを愛して下さった方によって、これら全てのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。」(ローマ8:32,37)
 
この14∼25節までの間で、私たちは私たち信者が引き裂かれた心の持ち主であることを教えられます。私たちの内には、罪が住み付いており、この罪が私たちの肉を通して私たちの魂に戦いをいどんでいるのです。
私たちの内に住みたもう御霊は、主イエスに対して「しかり」と応え、私たちの内なるものは「否」と叫んでいるのです。ここに私たちの心の戦いがあるのです。
この戦いは信者にとって一生続けられる戦いです。
新しく生まれ変わった人の中には、やはり罪の性質が残っているのです。
 
このことを聖書ははっきりと教えています。
 
この事実を否定する、いっさいの教えは誤った教え、すなわち異端です。人間の中から罪を完全に取り除こうとすれば、人間のいのちを取り去らなければ不可能です。しかし、主イエスは私たちからいのちを取り去ることを望んでおられるのではなく、私たちをご自身の道具として用いられようと望んでおられるのです。