ナルドの香油

誇る者は、ただ、これを誇れ。悟りを得て、わたしを知っていることを。(エレミヤ9:24)

嫉妬

「嫉妬」
 
神のいのちの表れである御霊の実と対比して、肉の働きを見ています。
 前回の肉の働きの中に、「そねみ」と「ねたみ」という言葉がありました。
 覚えていますか。
 「そねみ」は、漢字では「嫉み」です。
 「ねたみ」は漢字では「妬み」です。
 似たような言葉ですが、意味はどう違うのでしょうか。
 辞書によれば、「そねみ」とは、人のことをうらやましく思い、自分に劣等感を抱くことだそうです。
 また、「ねたみ」とは、人のことをうらやましく思い、相手に悪意を抱くことだそうです。
 二つの言葉を合わせると、嫉妬(しっと)となります。
 すごいことですね。
 2000年前の聖書の時代の人たちは、どれだけ学歴があったか分かりませんが、これらの言葉の意味と、その違いを知っていたのです。
 その言葉の違いを知っていたということは、人のことを「そねみ」「ねたむ」経験もしており、その経験を特定の言葉で表現していたわけです。
 当時の宗教家たちがイエスを十字架につけようとしていたのは、「ねたみ」のためであったことを、裁判の席にいたローマの総督ピラトには分かっていました。
 
「そねみ」と「ねたみ」
 あなたはこのどちらの経験がありますか。
 わたしはですか。
 どちらかと言えば、「そねみ」の方です。
 
この肉の働きのことをよく知っていたので、パウロイエス・キリストを信じているクリスチャンたちに対して、神のいのちから遠く離れてしまうことを警告しています。
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 エペソ4:17-19
 そこで、わたしは主にあっておごそかに勧める。
 あなたがたは今後、異邦人がむなしい心で歩いているように歩いてはならない。
 彼らの知力は暗くなり、その内なる無知と心の硬化とにより、神のいのちから遠く離れ、
 自ら無感覚になって、ほしいままにあらゆる不潔な行いをして、放縦に身をゆだねている。(口語訳)
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 これは2000前の聖書の時代の人たちだけの問題でしょうか。
 次回に続きます
 
浜崎英一