いのちを得させる義

 
☆順番が前後してしまいましたが、「身に着けるもの」の一つ前の記事の転載です。
 
 
「神のいのち」シリーズとして、このテーマは昨年12月から3か月余り続いてきました。
マリヤは聖霊によって身重になりました。
この処女降誕が事実であると信じている人たちは
更に信じなければならないことがあります。
 
主イエスを信じている人たちも、
聖霊によって「新しいいのち」をもらっているということです。
 
このことをハッキリするために「神のいのち」について、ずっと学んできました。
 
けれども、あたらしいいのちの人でも、
以前として「古いアダムのいのち」、「肉のいのち」で生きていることもあります。
そのように思ったことはありませんか。
そこが問題ですね。
 
聖書によれば、イエス・キリストを信じる人は
罪を赦され、義とされます。
しかし、義とされるというのは、
ただ罪が赦されたというだけではありません。
 
義とされた、その結果として、「新しいいのち」が与えられています。
その義は、「いのちを得させる義」だからです。
 
それは特別な人だけにではなく、信じるすべての人に及んでいます。
 
 
「もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、
さらに力強く支配するはずではないか。このようなわけで、
ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、
ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである。」(ローマ5:17-18 口語訳)
 
パウロによれば、主イエスを信じて、恵みと義の賜物とを受けている者たちは、
イエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずなのです。
アダムの罪によって死が支配するようになった、
それ以上に「いのちによる支配」が始まっています。
 
それは信じる者の内におられるキリストによってであり、
その「キリストのいのち」によってです。
そして、そのいのちとは、
主イエスを信じて、義とされた結果として与えられている「いのち」です。
 
「もし、キリストがあなたがたの内におられるなら、 
からだは罪のゆえに死んでいても、 
霊は義のゆえに生きているのである。」(ローマ8:10 口語訳)

 

 
このみ言葉を信じられますか。
 
浜崎 英一 聖書のみ言葉の黙想より転載