ナルドの香油

あなたは私の隠れ場(詩篇32:7)

この町には、わたしの民がたくさんいる

 

 Ⅰコリント18:19-20 

19 ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙っていてはいけない。

20 わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるから。」と言われた。

主よ、この町にはあなたの民が沢山います。

以前、うちを尋ねて来られたエホバの証人の女性の息子さんが、今は集会に集っていないと聞き、理由を尋ねたところ、

「組織や集会の人間関係などに躓いたのではなく、どんなに頑張っても自分はパウロのようにはなれない・・・」と言ってエホバの証人から離れたというのです。

私は彼の誠実さに心を打たれました。

でもパウロのようになるにはイエスキリストを主なる神として迎えなければならないのです。そして以下の聖句に導かれる必要があります。いつかその息子さんに伝えれたらと思っています。 

私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が、この世に生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。(ガラテヤ2:20) 

ローマ6:3:8

3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。

4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。

5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。

6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています。

7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。

8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。 

ピリピ2:20-21 

20 それは、私がどういうばあいにも恥じることなく、いつものよう今も大胆に語って、生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって、キリストのすばらしさが現されることを求める私の切なる願いと望みにかなっているのです。

21 私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。 

 

コロサイ3:9-10

9 互いに偽りを言ってはいけません。あなたがたは、古い人をその行いといっしょに脱ぎ捨てて、

10 新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。

彼は 

「私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。」(ローマ7:24)  

 の所で止まっている状態でもあるのだと思います。

 

もう一人、長男の友達の神主であるお父さんは長年、不眠症に悩まされています。

原因は幼少期から現在にまで及ぶ母親の言葉によるDVであるとママ友から聞きました。ママ友はご主人に寄り添って明け方、ご主人が眠りにつくまで一緒に起きていてあげているそうです(涙)

ご主人は眠れてもいつも同じ悪夢を見てうなされていて、子どもの頃に住んでいた神社の境内内にある真っ暗な部屋に一人閉じ込められ、外の明かりが隙間から差し込んでいるけれども、外に出ようと扉を捜してもどこにも扉が見つからず外に出ることができないという悪夢をいつも見るのだそうです。

 

私も長年、罪責感という暗い地下牢に入れられていましたが、イエスさまに出会い、「十字架と復活」の福音を聞いた事によって、その牢屋の鍵をイエスさまは私に与えて下さり、明るい地上に出ることができました。そこは草原のようで、新鮮な新しい空気を吸うことが出来ました。

息子の友達のお父さんをその暗い部屋から外に出すことができるお方は、イエスさましかいないと思っています。 

どうか、主よ。このお二人がイエスさまに出会い、ご家族の上にも救いが訪れますように。 私が恐れず福音を語り続ける事ができますように。

精神薬の害

2008年に主人は鬱病と診断され、パキシル(最大量40mg)とエビリファイデパスという薬を5年間飲み続けていましたが、良くなるどころか復職しては又鬱状態になり、休職と復職を何度も繰り返す状態でした。

ネットでうつ病にかかっている人のブログを検索

パキシル(抗うつ薬)ちょっと待って!! - Yahoo!ブログ

するうちに、抗鬱薬の成分は麻薬成分と同じであること、麻薬が切れると禁断症状が現れるように、抗うつ薬をやめる際にも離脱症状が現れること、副作用がひどく、その副作用を元に別の薬が処方され、一生薬漬けになる事が殆どであると知りました。副作用の中には希死念慮としっかり書かれているものもあります。

 

また主人が飲んでいたパキシルSSRIと呼ばれていますが、
SSRIの長期投与により、前頭葉においてドーパミンノルアドレナリンの活性が低下し『前頭葉類似症候群』が起こるといわれている。正常気分であるものの、何事にも無関心で動機付けが起こらず、疲労感や精神的に鈍い感じが残り、感情が平坦化する。うつ状態が悪化したようにも見える。』というのがあると分かりました。

まさにそのような状態だった為、主人にそのブログを読むように勧めたところ、ようやく薬を手放す決心をし休職を機にデパスエビリファイパキシルも段階的に減薬していきました。シャンビリと言われる離脱症状が出るのかとても怖かったですが、その症状は出ず、2か月程、全身がムズムズして横になっていることができない状態が続き、つらい時期もありましたが、それを抜けたら以前とは別人の気力も感情も戻りとても元気になりました。これでもう精神科、精神薬とおさらばできると思っていたのですが、長女に対して被害妄想を持つようになり、自分に嫌がらせの音を立てると言って、仕返しをするようになったのでした。丁度、その頃長女は高校受験の只中にあったので、家庭内別居状態で顔を合わさないように生活をし、入試1週間前は私の実家に預け、入試前夜は主人に最寄り駅のホテルに泊まってもらったり大変でした。
これも調べてみると、『エビリファイ』という薬が統合失調症の人に出される薬で、統合失調症の人は被害妄想が主なる症状なのです。
エビリファイを断薬する上で、被害妄想が強くなったと考えています。

長女は無事第一志望に合格したので良かったです。次女が、父親から疑われ、仕返しをされる長女をかわいそうだと言って泣いたので、主人も我に返り、やったかやらなかったかは置いておいて、今まで長女を愛してこなかった事を謝罪し、これからは今まで愛してこなかった分を返していくと言うようになりました。

主は全ての事を働かせて益に変えて下さったのですが、元はと言えばパキシルエビリファイという精神薬を飲んだ為に、病気にさせられていたと今は考えています。

私の母方の叔母が主人と同じ頃、鬱病と診断され同じようにパキシルを飲んでいました。主人が減薬に進み始めた頃、叔母は「あなたは鬱病ではなく、躁鬱病(双極性2型)でした」と医師から診断され、私の父に電話をかけてきて「一生薬を飲み続けなければいけない・・・」と絶望していると聞きました。

そんな時に次のような記事が目に留まりました。

 
抗うつ薬躁状態を引き起こします。近年増えている双極性2型という診断名は、もともと抗うつ薬が引き起こした薬剤性症状を救済するために作られた概念であり、病気ではありません。それを病気として薬物治療を続けていくのは、非常に問題です。
ハコブネ会員の中には、抗うつ薬治療の影響で「躁転」や「アクティベーション(賦活症候群)」を経験した者が複数います。抗うつ薬治療が引き起こした薬剤性の状態であり、医原病にほかならないのに、元々の疾患であるとか病状の進行などと説明されて、双極性障害に診断変更され、一生涯服薬しなければならないと宣告されています。これは、薬害を隠蔽するために考えられたレトリック(言いわけ)にすぎません。しかし、それをされた側は、一生治らない精神障害者の烙印を押されます。薬を飲み続けないと廃人になると脅され、健康を害する薬物療法を一生にわたって継続させられていくのです。その先にあるのは、薬による健康被害や社会的能力の剥奪です。治療が引き起こした被害を隠蔽す るこのような責任すり替えの論理に騙されてはなりません。
 
最近では、患者を増やすために、双極性障害とする診断が増えています。双極性障害に使用できる薬が増えると、双極性障害と診断される患者も増えていきます。その結果、人生にはよくある浮き沈みや気分の変化が躁鬱という症状と解釈され、双極性障害という診断が下され、「一生治らない」「生涯服薬が必要」などの説明を受けて、服薬によって健康や人生が奪われていくのです。日本うつ病学会は、専門学会として、このような安易な病気作りに加担して被害者を生み出している現状を戒めるべきです。
今後、当会としては、理事長だけでなく、理事の方々やガイドライン作成委員の方々にも、われわれの意見をお伝えして、今なお苦しんでいる多くの患者の救済とこれ以上被害を拡大させないために、学会に社会的責任を果たすよう働きかけていきたいと思います。」

すぐに叔父にこの記事をメールで伝えたのですが、叔母にその事が伝わらなかったのか、それから程なくして入院先のトイレで叔母は自死してしまいました。叔母は双極性障害と診断された事で生きる気力を無くしてしまったのです。精神薬と精神医療に殺されたと私は思っています。

夜回り先生が過去にこのような記事を書かれているのを見つけました。

日本の精神医療について|夜回り先生は、今!(水谷修ブログ)

 

最近、多い猟奇的な殺人も精神薬を服用していたケースが殆どであるようです。

 

現在、精神医療は子ども(ADHDと診断されて投薬される)や高齢者にまで手を広げています。多くの人に精神医療と精神薬の害について知って頂きたいと思っています。

そして、教会が鬱症状に陥る人、心に悩みのある方々の声を聴いて、その方達が精神医療に頼るのではなく、イエスさまに頼るように導く働きをしなければいけないのではないかと思っています。

死は勝利にのまれた

 6/8は救いを祈っていた友人二人が同時に信仰告白に導かれて主に感謝を捧げました。けれど、その日の夕方、広島に住む主人の父が亡くなったと連絡が入り複雑な思いになってしまいました。

 義父は2ヶ月近く前に腸の手術をし、手術自体は成功したのですが、元々心臓が弱かったので最近、心臓の弁を広げる手術もしていたのでした。

義父を元気付ける為、6/10に3人の孫を連れてお見舞いに行こうとしていた矢先の事でした。

 翌日の夜、斎場に着くと義母が「急変してこんなに早く逝くと思わなかった」と泣きながら話してくれました。

最期は安らかに、母の手を握りながら亡くなったそうです。

義父は定年後26年間、リウマチを患う義母の代わりに主夫となり、炊事、洗濯、家事、全てを父が担当していました。 

母が手伝おうとすると、「あんたはいいから座ってなさい」と叱られたそうです。

私の主人は一人っ子なのですが大学時代から関東に出ている為、夫婦二人で手を取り合いながら、ずっと生きて来たのでした。まさに一心同体の夫婦だったのです。

  父が入院中、母は朝8:30-夜20:00まで面会時間フルで毎日付き添い、父も母の手を握って離さなかったようで二人の仲睦まじさに圧倒されて、先生も看護師の方々も父を癒そうと一生懸命尽くして下さったと聞きました。

消化器の先生、心臓の先生、救命救急の先生が親身になって治療にあたって下さり、臨終の時も、その三人の先生が部屋に駆けつけて下さったと知り、それは三位一体の主なる神だったのではと今、思います。 そうでなくても先生方に主が働いて下さったと思います

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義父母には随分前に聖書をそれぞれにプレゼントし、その際に福音も伝えましたが、残念ながら反応はありませんでした。

数年前に帰省した際は、普段私は離れて暮らしていて何もできないので、何かあったらイエスさまに頼って欲しいと思い、トイレに御言葉の壁掛けをかけて帰りました。

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今もそれは飾られています。

この御言葉が義父に働いて、天に召されていますように。

 昨日は告別式で主人の親戚2家族と何年か振りに会いました。年賀状だけのお付き合いになっていましたが、そのうちの一人の叔父さんが、「今朝、年賀状を見て子ども達三人の名前を覚えてきたよ」と言って、三人の名前を呼んで下さいました。

そして

「砂浜に『イエスさま ありがとう』って書いてあったけど、お母さんが信じてると、子どもも自然にそうなるんだね」と言われ、あんな小さな写真なのに気付いてくれた事が嬉しく、その後、イエスさま無しには私達家族は立ち行かなかったと小さな証しも話せて感謝でした。

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火葬場に移動し、火葬のためのエレベーターの中に棺が入れられる段階になった時、義母は崩れるように泣き始めました。他の方々も皆、同じように涙を流していました。

その時、聖書の次の場面が思い出されました。

ヨハネ11:32-35

32 マリヤは、イエスのおられた所に来て、お目にかかると、その足もとにひれ伏して言った。「主よ。もしここにいてくださったなら、私の兄弟は死ななかったでしょうに」

33 そこでイエスは、彼女が泣き、彼女といっしょに来たユダヤ人たちも泣いているのをご覧になると、霊の憤りを覚え、心の動揺を感じて、

34 言われた。「彼をどこに置きましたか。」彼らはイエスに言った。「主よ。来てご覧ください。」

35 イエスは涙を流された。

 私たち人間は「死」から誰も免れる事は出来ません。そして「死」は最愛の人達との永遠の別離であり、悲しみであり、希望が全くありません。

エスさまも、その状態を感じて下さり涙を流して下さったのだと思います。

 けれど、その後、次の聖句が思い出されました。

 

エスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか」(ヨハネ11:25-26)

ヘブル2:14-15 

14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者滅ぼし、

15 一生涯死の恐怖に繋がれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。 

最後の敵である死も滅ぼされます。(Iコリント15:26) 

しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利に飲まれた。」としるされている、みことばが実現します。(Iコリント15:54)

  主の十字架と復活のゆえに、私たちは死に勝利しているのだという強い思いが与えられました。

残された義母や親戚の救いの為に祈り、福音をもっと大胆に宣べ伝えて、葬儀場で悲しみで泣くのではなく、復活と再会の希望を持って涙を流す人達を増やしたいと新たに思いました。

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(母のPC画面 父は帰省の度に長男と将棋で遊んでくれました。)

狭い門から入りなさい

今朝、ドーナツを頬張り、コーヒーを飲みながら考え事をしていました。

「狭い門から入りなさい」という御言葉が思い浮かびました。

 

最近、「かしら なるイエスキリストに堅く結びつくこと」

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」

など、イエスさまご自身にフォーカスを当てる事が大事だと語られていましたが

 

「狭い門」その「門」自体がイエスキリストその方である事がやっと分かりました。

 

キリストが私の内に聖霊を通して内住して下さっている事は分かっていましたが

私がキリストの内にいることがずっと分かりませんでした。

 

でも今朝、イエスさまという門がはっきりと分かり、その中に入って一体となったような感覚がありました。やっと一緒になれたような感じで泣きながら感謝を捧げました。

 

以前、ミヤサカさんの記事

命に至る狭き門 - an east window

を読んだ時に同じ事を啓示されたように思いましたが、今朝は確かに門の中(キリストの中)に入ったのだとはっきり分かった気がしています。感謝しています。

 

(参考)

A.Bシンプソン キリスト生活   第3章 キリストにある

「聖書に示されている私たちとキリストとの結合には二つの面があります。それらはギリシャ語の前置詞『~にある(in)』によって最もよく表わされています。それは、私たちに祝福の半球を二つ与えます。第一は『キリストにある(in Christ)』であり、第二は「あなたがたの内にあるキリスト(Christ in you)」です。これらは異なる思想ですが、互いに相補的であり、組み合わさって私たちがこれまで語ってきたキリスト生活を構成します。

 

小石

最近、バスのロータリーに向かう渡り廊下で、エホバの証人の方達が書籍や出版物を両手に持って立っておられます。

お話したいなと思いながら、バスの時間もあるので中々立ち止まることが出来ずにいました。

前回は書籍だけ受け取り、

今回はバスを1本見送ってもいい。お話してみようと思いました。

「どうか議論になりませんように。」と祈って

一番、若い女の人に声をかけました。以前、私が本を受け取った女性だったようで向こうは覚えていて下さっていました!

「こんにちは。私もクリスチャンなのですが、明日はペンテコステですね。エホバの証人の方達もペンテコステをお祝いされるのですか?」と聞いてみました。

すると

「いえ、私たちは『イエスの死の記念式』だけを行います」とおっしゃり、エホバの証人2世の方であるのも分かりました。

「復活もお祝いしないのですか?」と聞くと、「はい、そうです。」と答えられました。

私が、「イエスさまの十字架は復活とセットでなければ意味がないんですよ。」と話していると、紳士的な男性信徒の方が話に加わって来られました。

「十字架とおっしゃっていますが、原語を調べると1本の杭となっていて、十字架ではないんですよ。」とおっしゃいました。

私は、「当時、ローマでどのような処刑方法が行われていたのか歴史的に調べてみて頂くといいと思いますが、私にとっては十字架でも一本の杭でも実はどちらでも構わないのです。

大事なのは、旧約聖書に「木に吊るされたものは、神に呪われた者である」と書かれていることです。

イエス・キリストは、律法を守ることができないで呪われるはずであった私たちの身代わりに、木にかけられ、呪われたものとなって私たちを律法の呪いから贖いだして下さったのです(ガラテヤ3:13)。木にかけられ呪われた者となって下さった事が大事であって、十字架でも杭でも私にとってはどちらでも構わないのです。」

と言った時、その男性は「ハッ」としたような顔をされました。

他にもいくつかお話しして別れました。

 

以前、正木 弥牧師と一度だけお話する機会がありました。

正木 弥牧師は新世界訳聖書がどのように改ざんされているかを調べてまとめて下さっている方です。→http://kln.ne.jp/jehovah/masaki/masaki.html

こちらもあります。絵が不気味ですが→おとなのための創作紙芝居『アリエルさんから見せられたこと』 正木弥(動画あり) : 宣教 : クリスチャントゥデイ

 

正木 弥牧師が言われたのですが、エホバの証人の方と話すと議論になってしまう事が多い。

なので教義以外の話題で質問を投げかけていくのが有効的であること。

靴の中に石ころが一つ、二つ入っただけでは、そのまま歩き続けてしまうが

4つ、5つ入ってくると立ち止まって靴を脱ぎます。

そんな小石をいくつか用意して話しかけるといいと教えてくださいました。

 

例えば、「イエスさまはニコデモに、新しく生まれなければ神の国を見ることはできないとおっしゃっていますが、あなたは新しく生まれた経験はおありですか?」などです。

もっといっぱい小石を用意しよう!と心新たに思った日でした。

イエスから目を離さないでいたい。

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(現在、大学生の長女が幼稚園の頃、教会の夏休みイベント「イエスフェスティバル」で作成した壁かけ) 

今年の2月からずっと求め続けている聖霊バプテスマ

昨日はペンテコステだったので、もしかしたら・・・・と淡い期待を持っていましたが何も起こりませんでした。

午前中は長男と教会へ、夜は次女と家庭礼拝を行い、前回からの続きでヨハネ福音書を二人で読みました。その箇所が図らずもヨハネ7章で 

さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」

これは、イエスを信じる者が後になってから受ける御霊のことを言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、御霊はまだ注がれていなかったからである。(ヨハネ7:37-39) 

この箇所でした。

これは、ずっと、「聖霊の内住」の事を言っているのだろう。「それなら既に私は受けている」と思っていたので、この箇所を読んでも素通りだった気がします。

けれど、これは「聖霊の内住」ではなくて、「聖霊バプテスマ」の事なのだと教えて頂いてから再度、ここを読むと、仮庵の祭りで賑わい、ごった返した中で

エスさまが大声で「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」と叫んでいる姿が胸に迫って来ました。

その叫びは、今の私に向かっても叫ばれているのが分かりました。

私も心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになりたい・・・・。

昨日は約束の聖句と「必要なのは、御子とそのわざを信じることだけです。」というアドバイスを握って祈り賛美し続けました。

けれど救いが賜物であるように、聖霊バプテスマも神さまからの一方的な恵みであり賜物であるので、現段階では与えられませんでした。

このまま、前みたいに忘れてしまうのではなくて、 

「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。

あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです。」(ヘブル12:2-3) 

この事だけに集中して信仰生活を送っていきたいと思います。

それに、これまでを振り返ってみても次の御言葉が真実だと思うからです。 

あなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日がくるまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。(ピリピ1:6)

「2000年前にイエスキリストが十字架に架けられた事と、今の自分にどんな関係があるのか分からない」と牧師夫人に訴えていた自分が救われ、

洗礼を受けようとしたら親からの迫害に遭い、父が教会に押しかけてきて、「目を覚ませ!」とビンタされ、「勘当する」と言われたた為、2003年のクリスマスに受けるはずの洗礼は延期となりました。翌年の自分の誕生日に洗礼を受けたいという思いが与えられましたが父の反対は相変わらずでした。エリヤハウスの学びの中に「切り離しの祈り」というのがあり、結婚後は父母を離れと聖句にあるのに親子関係の個別化が図れていない人の為の祈りなのですが、それを牧師夫妻に祈って頂いたそのすぐあと、ヨーロッパ出張から帰って来た父から突然電話がかかり、向こうで2ヶ所教会に行ったそうなのですが、2ヶ所とも、自分が足を踏み入れた瞬間にパイプオルガンが鳴り始めたこと、ドイツ人の知り合いの方のお墓参りに行った際にお墓の中から「お嬢さんの洗礼を赦してあげて」という声が聴こえたと言い、他者への伝道禁止という条件付きで洗礼を赦すと言ってきたのでした。その条件は今も守れていませんが、無事に誕生日に洗礼を受けることができました。

その後、20年に渡る罪責感から癒され、昨年は「聖化」に対する正しい理解が与えられて楽になり、つい先日は、実は長期に渡る罪責感と自己憐憫、恥意識のために神さまに愛されているという実感が全く持てていなかったのですが、違う角度から見ることを教えて頂いて、初めて神の愛が実感として分かったのでした。

他にも書ききれていませんが、沢山の恵みと導き、矯正もありました。

これからもイエスさまと信仰の家族と一緒に信仰生活を歩んでいきたいと思います。

なぜ? 不条理な人生の意味を問う  

「どうしてこんな病気になってしまったのでしょうか」、「何か悪いことをしたかしら」、「誰も私の気持ちなんてわかってくれない・・・」 

病院ではたましいの底から湧き出るような様々な問いかけが毎日投げかけられます。

 その答えが知りたい。ーある方は握りしめたこぶしを振り、涙ながらに語られました。

 「神さまからのメッセージがわからない」と。 

 なぜ苦しまなければならないのか。なぜこんなことになってしまうのか?

 私たちも同じ問いを心のどこかに持っているのではないでしょうか。この問いの答えを見つけるのは簡単ではありません。

 それでも人はもがきつつ自分なりの答えを求め続けるのです。わかったら生きていけるのに、わかったら楽になれるのに・・・と。 

意味や答えを見いだせたら生きていけるーその気持ちにはうなずけます。しかし、意味がみいだせないなら、私たちは生きても仕方がないのでしょうか。答えがみつからなければ生きられないのでしょうか。はたして考えることで、人生の意味を正しく見つけられるほど、私たちは賢いのでしょうか。 

<その人生を生きること>

人は、人生で味わう苦しみや困難の意味がわかるから生きるのではありません。

人生は与えられたものです。人は命とその人生を与えられ、その道を歩むようにと置かれた存在です。そして、その道には必要な備えが整えられているはずなのです。

だから、わからないと叫び、求めつつ生きるその道々で、実は”用意されていた”さまざまな助けに出会わされていくのです。それを繰り返すうちに、この道を歩くことが、

「そんなに捨てたもんじゃない」と思えることもあるでしょう。

そう考えると、まずは歩いて行くことです。その過程で、答えに出会うかもしれないからです。 

<ある患者さん>

60代の男性患者Aさんと出会いました。

初めてお会いしたとき、すでに片方の足を切断されていたAさんは、ご自分のこれまでの病気の経緯を話してくださり涙をボロボロとこぼすばかりでした。けれども、祈ることやたましいの安らぎを求めるようになり、やがてご自分が神さまの導きによって支えられていると信じていかれるようになりました。

 私がAさんとともに過ごせたのは、わずか15日間でしたが、Aさんは天に召される2日前にこのようにおっしゃいました。

「入院した頃は病気のことばかり考えていました。だんだん悪くなって苦しくなって最期を迎える・・・何度考えても、いつもそこを頭がぐるぐる回るばかりでした。でも、今はどうしても治りたいと思わなくなりました。気持ちが安らかであることが何より幸いです。」

 Aさんはこれまで何度、その苦しみの意味を問いかけてきたことでしょう。

 けれども、もう「なぜ?」と問うことをやめました。具体的な答えを見つけたというのではありませんでしたが、もうそれを問わずにすむようになりました。

 詩篇23編には「たとい死の陰の谷を歩むとも災いをおそれません。あなたが私と共におられるからです」(口語訳)とありますが、Aさんはこの箇所を

「今の私の心そのものです。」とおっしゃいました。

 Aさんの心は、問い続けてきた答えが何であろうと、今は共にいてくださる方がいるからもうそれで十分、もう問う必要がないーという思いに至りました。

 この「問わずにすむ」ということがAさんにとっての答えだったのです。

 具体的な答えを知るというよりは、その問いを超えて

「すでに答えの中に自分が置かれていること」を知らされたということです。

 自分が答えの中にあることを知るーこれは「答えが見つかったら生きていける」という発想とは逆のものです。・・・・・

 

          「わたしをいきる」  ふじい りえ